LOTUS 200-5

 

 

玄関先で理沙が姉にいろいろと話している声が聞こえてくる。その話の内容ははっきりとはわからなかったが、確かにわたしについての話らしかった。それから程なくして、理沙と姉の美沙がリビングに入ってきた。

「ただいま、お父さん。」

「おかえり、美沙。 今日は早かったね。」

「ええ、今日はいつもより授業が早く終わったので…」

「ああ、美沙、紹介しよう、こちら小山さんだ。小山さん、これが上の娘の美沙です。」

「こんにちは、美沙です。」

「こんにちは、わたし小山です。今日はいろいろお父さんにお世話になっています。」

「ああ、それで、美沙、さっそくだが、小山さんにあした理沙と一緒にこの地区の案内をして差上げてくれないか。この地区には小山さん初めてお越しだそうだから。」

「ええ、よろこんで…。そのことは理沙からさっき玄関で聞いていました。小山さん、明日はわたくしたち不慣(ふな)れな姉妹二人の案内ですけど…」

「いえ、とんでもないです、大変助かります。ほんとにご迷惑(めいわく)でしょうがよろしくお願いします。」

「いいえ、迷惑だなんて、ちっとも。」

「小山さん、わたしたちここを案内できることがほんとに楽しみなのよ、だから遠慮なんかちっともいらないわ。」

「ありがとう理沙ちゃん。」

 

美沙は(やさ)しい微笑を浮かべながら理沙の隣に座ってわたしを見ながら言った。

「小山さんは西暦2003年の遠い過去からこちらにいらっしゃったんですって? わたくし昔の時代のことに大変興味があるんです。いろいろお話をお聞きしたいわ。」

「ははは、ええ、何なりとお聞きください。」 わたしは頭を()きながら答えた。

 

美沙はその襟元(えりもと)にさりげないレースのついた白いV首のタンクトップに、斜め格子(こうし)模様(もよう)()られたほとんど白といってもいいほどのごく淡いピンク色のスカートを穿()いていた。そしてそれは美沙の上品な面立(おもだ)ちによく似合っていた。また、そのうえわたしの耳に美沙の声がほとんど天上的(てんじょうてき)(がく)()のように響いてきた。それはいつまでも、できるものなら永久に聞いていたいと思わせるような声だった。ごくまれに、聞いているだけで陶然(とうぜん)としてしまうような、そんな声の持ち主がいるのだった。わたしにとって美沙はまさにそのような女性だった。それにまた、美沙には何か特別な、どこか自然に人の心を()きつけるオーラのようなものが(ただよ)っていた。わたしはもうなすすべもなく美沙に()せられてしまっていた。

 

「お父さん、お母さんは今日どこかお出かけ?」

「お母さん今日ピアノ演奏のボランティアで帰りが少し遅くなるよ。」

「今日はどちらで?」

「シニア・ハウスらしいよ。」

「そう。今日も宮田さんや谷川さんとご一緒?」

「うん、いつものメンバーらしいね。」

「それじゃ、谷川さんは今日もグリーグの『ソルヴェイグの歌』をご披露(ひろう)なさるのね。谷川さんほんとにお上手だから、あの歌。 わたくしも大好きだわ。」

「そして、宮田さんは『G線上のアリア』ね。そしてお母さんは『平均率クラヴィア曲集』。今日は何番を弾くのかな。」

「さあね。まあ、仲良し三人組で楽しんで演奏してくればいいのさ。そして、それがお年寄りの()(なぐさ)みになるのならこんなにいいことはないからね。」

「奥様はピアノをお()きになるんですか。」

「お母さんは、ピアノの先生なのよ。若いころ北アメリカ地区のピアノコンクールで優勝したこともあるのよ。」

「へえ、そうなんですか。すごいなあ。」

「お姉ちゃんもピアノ上手いのよ。お母さんの話じゃ、お母さんよりも才能があるみたい…   わたしも習ってるけど、わたしはあまり上手くないの。」

「そんなことはないよ。理沙だって上手いもんさ。」

「お父さんいいのよ、無理しなくっても。 ねえ、お姉ちゃん、小山さんにピアノ弾いてあげて、わたしも久しぶりに聞きたいし。」

「そうだ、美沙、久しぶりにピアノを聞かせてくれないか。今日はお母さんの代わりだ。」

「そう、それじゃ少しだけね。しばらく弾いてないから上手(うま)く弾けるかしら。」

 

美沙は部屋の(すみ)にあるキーボードに向かって腰を下ろした。そして、しばらく(ゆび)()らしをした後、しばしの()を置き、やがて弾き始めた。それは、クラシックにはあまり(くわ)しくないわたしにも分かる『平均率第一巻』の一番だった。そして、その演奏は素人(しろうと)(いき)をはるかに超えていた。それは持って生まれた天性の上に練習が積み重なってはじめて得られるような質の高さを示していた。さりげなく弾いているようでいながら、その一音(いちおん)一音(いちおん)には命と祈りが込められているような、聞く者の心にじかにしみこんでくるようなそんな演奏だった。演奏者の心の質の高さがそのまま音の響きに、リズムに、()に現れる。

やがて、演奏は終わり、わたしたち聴衆は心からの拍手を送った。

 

「お()(まつ)さま。」

「いやあ、美沙さん、なんという素晴らしい演奏でしょう。こんな演奏を聴くのは生まれて初めてです。本当にすごい!!!」 わたしは少し興奮気味にほとんど叫んでいた。

「あら、まあ、どうしましょう。」

「いや、久しぶりに聞いたせいか、いつもよりうまく聞こえたな。」

「お姉ちゃん、相変わらずうまいのね。」

「こんな間近(まぢか)で素晴らしい演奏が聞けて本当に幸せでした。」

「そんなに言っていただいて、わたくしもほっと一安心ですわ。」

「こんなにお上手ならプロのピアニストにもなれるでしょうね。ピアニストにはなられないんですか。」

「今ではプロの演奏家はいないんですよ。みな、個人的なボランティアの演奏家なんです。一人一人が自発的(じはつてき)に、演奏会を開いたり、オーケストラの一員になったりして楽しんでいるんです。それから、自分の演奏や作曲したものをテレポーターを通して公開して世界中の皆さんに聞いてもらうこともできますし、表現の場はたくさんあるので、その気さえあれば自分の余暇(よか)時間(じかん)をそれに用いることもできるのです。今は、それぞれが孤独の中で思索(しさく)する権利や創作する権利も保障されていますから。」

「そうなんですか。…それでは、美沙さんはこれからもやはり地区改善学の勉強をお続けになるんですね。」

「ええ、これからもずっと続けていくつもりです。ピアノも大好きですけど、それよりももっと、世界の調和とあらゆるもののハーモニーのために働いていたいんです。この世の全一調和の中で、その全一調和のために働いていたいんです。そのときわたくし一番幸せを感じるんです。全一調和の中でこの世界は一番美しく輝いていますし、全一調和の中でこの世の生きとし生けるものもわたくしたち人間自身も一番幸せなんですもの。」

「全一調和、ですか。」

「はい、全一調和ですわ。すべてのものが調和しているときすべてのものは一番生き生きとしていますから…  自分のためにも、それからすべてのもののためにもいつまでもそんな状態を保つようにしていかなければいけないんですわ。それが人間として生まれた者の責任だと思うんです。」

「素晴らしいことですね。そんな生き方ができればきっと幸せになれるでしょうね。」

「はい。わたくしはこのようなことができる今の時代に生まれることができたことを本当に幸せだと思っています。昔、その時代から小山さんがいらっしゃったという世界では夢物語として(わら)われていたことでしょうからね。」

「まったく、美沙さんのおっしゃるとおりです。今のこの世界から比べればまったくエゴイズムと不協和音でいっぱいの時代でしたからね。ところで、いま美沙さんは大学でなにを学んでいらっしゃるんですか。」

「今、わたくしたちは歴史フィールドワーク本質理解を中心に学んでいます。まず過去の歴史を正しく知り、そして世界の現状を正しく把握(はあく)し、さらには時間を超えた本質そのものを理解しようと努めています。これらはすべて大切なものなのですが、その中でも最も中心になるのは本質理解なのです。本質理解が欠けていればすべては意味と価値を失ってしまいますから。本質を中心に()えて、過去を振り返り、現在をより本質化していくことが大切なのです。」

「本質ですか…」

「ええ、本質です。」

「なかなか難しいことですよね、本質を理解するといっても…」

「ほんとにそうですわ。でもそれを理解するために努力し続けていかなければならないんですわ、わたくしたち。」

「ええ、そうですね。ところで、フィールドワークってどんなことをなさるんですか。」

「フィールドワークは、ある地区の予備研究をし、実際に現地に行ってその現状を観察してその評価をしたり、また改善すべき点があればその提案をまとめてみたり、その記録を将来の参考(さんこう)文献(ぶんけん)として残したりといった実地(じっち)中心(ちゅうしん)の研究なのです。通常、月に2地区現地調査を実施しています。これまでのところそれはほとんどがアジア地区に集中しています。でも来年度からは、アジア以外の地区を幅広く研究していく予定になっています。」

「いままでにどれくらいのフィールドワークをなさいましたか。」

「もう50近いと思います。」

「その観察の結果はいかがでしたか。みな理想的な状態でしたか?」

「もちろんまだ理想にはほど遠いですわ。でも、おおむね80点位の合格点はつけられると思います。これはたいしたことだと思います。」

「80点ですか、それはすごいですね。」

「ええ、そうですね。ところで、小山さん、わたくしたちは今ちょうど、20世紀から21世紀にかけての歴史的(れきしてき)変動期(へんどうき)を中心に学んでいるんですが、そのころの実際の様子をいろいろと教えてくださると大変参考になりますわ。」

「何なりとお聞きください、わたしで分かることなら何でもお話します。それより、わたしにはなぜわたしたちの利己(りこ)主義(しゅぎ)全盛(ぜんせい)の時代から、わずか2世紀あまりの間にこんなにも世界が変わってしまったのかということのほうが知りたいんです。美沙さんはどうしてこのように変わることができたと思われますか。」

「はい、わたくしたちの考えでは、この変化の大きな要因(よういん)の一つに、19世紀頃から始まった地域の自立化の流れがあると思っています。それが、いつしかグローバル化の流れとも連動(れんどう)して、国家観の変化をもたらし、やがて地域を中心にした国家の解体が現実のものとなり、また、インターネットなどの地球規模のコミュニケーション技術の進歩ともあいまって、やがて地域間の地球的(ちきゅうてき)連携(れんけい)へと発展していったものと考えているのです。そして、自立的地域の範囲が狭くなればなるほど理想的な社会もより築きやすくなり、また、人種問題や民族問題や宗教問題などもうまく調整されてきて、いつしか人類の未来にふたたび希望を抱き始めた大衆の意識もしだいにより自覚的にそしてより積極的にもなって参加意識も強まり、そのほか環境問題や人口問題の解決への願いや全一的世界観の拡がりなど、さまざまな要素が一つに溶け合って、ある時期から加速度的に人類社会全体が理想的地球社会実現の方向に向かって進みだしたと考えているんです。」

「ああ、なるほど。そうですか。」

「小山さんがにわかにはこの大きな社会的変化が理解できないとおっしゃるのも無理はないのですけど、社会はその変動期には短期間のうちに予期しないほど大きな変貌(へんぼう)()げるものだということもまた歴史的な事実なのです。たとえばルネッサンス期や産業革命期などはその典型(てんけい)ですし、この21世紀の本質変革期もその一つに数えることができるほど大きな変化を()げた時期なのです。」

「なるほど、そのような理由であれば、納得できるような気もしてきます。しかし、それでもやはりどこか狐につままれたような気持ちが残るのも確かです。」

「小山さん、ねえ、お姉ちゃんの言ったことは本当のことなんだから信じなくっちゃいけないのよ。でも、今は信じられなくても、明日になればわたしたちの案内でもっと信じれるようになると思うわ、きっと。」

 

 

 

次ページへ/