山本さんの奥さんがアメリカ人であると知って、理沙ちゃんの瞳の色が日本人にしては少し明るすぎると感じた理由もこれではっきりした。そして、今は奥さんがどのような人なのか早くお会いして見てみたかった。そしてまたそれ以上に今年二十になるという上の娘さんに会ってみたいと思った。
「ねえ、小山さん、明日はどうするの。今晩ここに泊まっていくんでしょう。ねえ、お父さん、そうでしょう。」
「あゝ、そうだ、小山さん、今晩、家にお泊まりください。それに、明日は土曜日なので、今日、上の娘の美沙も帰ってきますからこの地区の案内をさせましょう。私は生憎と用事があってご案内できませんが、美沙なら十分にご案内できますから。」
「理沙が案内してあげるから、大丈夫よ。小山さん。」
「だって、理沙はまだ十八前だからエアーカーに乗れないじゃないか。美沙がいなけりゃ十分にご案内できないよ。」
「じゃ、お姉ちゃんと二人で案内してあげるからね、小山さん。」
「はあ…、いや、ほんとに泊まらせていただいてよろしいんでしょうか、山本さん。」
「ぜひ、泊まっていってください。理沙も喜びますから。」
「そうですか。それではお言葉に甘えさせていただきます。」
「ああ、よかった。
小山さん、明日はいろんなところ案内してあげるからね。楽しみにしててね。」
「じゃあ、よろしくお願いします、理沙ちゃん。」
「まかしといて!
理沙がちゃ―んと案内してあげるから。」
「よかったな、理沙。
ところで、小山さん、あなたがこれまでいらっしゃった西暦2003年はどのような年ですか。世紀の変わり目ということでいろいろあったようですが。まあ、おおよそのことは歴史の資料を読んで知ってはいるんですが... また、西暦2003年という年はロータス暦にとっても特別な年でもあるんですよ。」
「え、そうなんですか? ...あ、はい、まあ実際、今年2003年という年にはすでにいろいろなことが起きています。しかし、それも新しい千年紀に入った2001年の9月11日に起きたニューヨークの世界貿易センタービル爆破テロに端を発しているんですが...、そして、その報復と、テロ防止という名目でアメリカ合衆国に攻撃されて、2001年にはアフガニスタンが、そして今年2003年4月にはイラクの政権があっという間に崩壊してしまいました。この一連の戦争でアメリカ合衆国が使った高性能の新兵器の威力に世界中が驚かされました。また、その武器の威力だけでなく、小型の核兵器すら含んだアメリカの新兵器開発への執念や、国連を軽視したその過剰防衛的な強引さにも驚かされました。それは時代の流れに逆行した、なんとなく独り善がりの場違いな国という印象でした。
その後、アメリカはイランに対しても圧力をかけている様子が窺われます。そして、つい先日の7月1日には、イランの核開発疑惑やテロ支援を理由に、イランと日本企業との間のアザデガン油田開発事業についても、その契約の調印を、イランが国際原子力機関の追加査察を受け入れるまでは延期すべきだという考えをアメリカ側から日本政府に伝えてきています。そのほか、今もイスラエルとパレスチナとの間の対立が続いていますし、北朝鮮をめぐる情勢も緊迫してきています。それから自然環境問題の一つである温暖化現象なんかもさらに顕著になりつつあります。」
「そうですね。ところで、小山さん、西暦2003年にはLOTUS暦について書かれたユートピア小説がインターネットというもののホームページ?でしたでしょうか、を通じて初めて連載されているんですが、お気付きになっていらっしゃいましたか。」
「いいえ、まったく知りません。そのようなものが連載されていたんですか?」
「はい。まあ、お気付きでないのも無理はないのですが、実際そうなんですよ。そして、しばらくはほとんど話題にもならなかったんですが、やがてそれでも徐々に知られるようになりまして、発表から十年後の西暦2013年には、そのユートピア思想に共感したインターネット上の一万人余りの会員が中心となって、ロータス暦準備委員会が設立されたんです。そしてそれからさらに十年後の西暦2023年に会員数が百万人を突破したことを祝って、その年を、会員の圧倒的多数の合意の下で、ロータス元年として会員間で正式に認定し、また、新たにロータス
ネットワークという組織が設立されました。そして、世界中の支部を活動の中心基地として、新しい理想的な地球社会の構築に向かって積極的に動き出すことになります。それから百年後のロータス100年、西暦でいえば2123年にほぼ世界中がロータス ネットワークに統合されて新たな地球社会がスタートし始めます。そしてそれからさらに100年後の今年、ようやく理想世界らしくなってきまして、その達成の喜びも込めて、今、ロータス暦200周年記念のさまざまな行事が世界中で行われているという訳なんです。しかし、これまでの道のりは決して平坦なものではありませんでした。それも今はこのように報われて地球市民全員が喜びに湧いているんです。」
「そうですか…。しかし、なんだか不思議な気がするものですね、自分にとってはまだ未来のことをまるで過去のことのように教えてもらえるというのは。
ところで山本さん、話は変わりますが、先ほどのお話の中で人の本質権というものについてお話でしたが、そのことについてもっと詳しく教えていただけませんでしょうか。わたしにとってはとても耳新しい言葉なので......」
「はい、いいですとも、喜んで。 本質権というのは人間の一生にとって最も大事な権利で、わたしたちのこの社会制度もこの権利を保障するためにあるといってもいいほどなんです。本質権とは簡単に言いますと、人がこの世に生を受けてやがてこの世を去るまでの生涯にわたって、その命の本質を自由に生きていくことのできる権利なのです。その権利は、親といえども侵害することができません。また、妻や夫、あるいは子供や孫といえども侵害することのできないその人固有の権利です。さらには地域社会ですら侵すことができません。むしろ地域社会はその権利を保証する義務があります。ところで、ここで命の本質というのは、決して自己中心的な好き勝手をするということではありません。むしろ大自然と一体の、全一的な純粋生命活動を、思慮深く自覚的に展開していくことを意味しています。ですから、人は誰もその命の本質を生きるために、先ずその命の本質を正しく理解していることが求められます。しかし、もしもその理解が十分でない場合には、本質権は一時的に剥奪されて、その人は再教育を受けなければなりません。ですからこの社会では本質理解が人間としての市民権を得るための最低条件なのです。だれも無思慮に無責任な行動をとることは許されません。そのために、地域社会は学校教育および社会の教育力などを総動員して個人個人の本質理解を深めようと努力します。個人の本質理解の不足は社会全体の責任だという考えからです。その意味において、私たちの社会は過去の文明よりも精神的に一段階進んでいるということができるだろうと思います。
ところで、本質権すなわちそれぞれ一人一人がその命の本質を自由に生きることができるために、地域社会は次のことを保証します。すなわち、生涯にわたる、基本的な衣食住、医療、教育、汚染のない清らかな自然環境、さまざまな運動施設や娯楽施設や自己啓発施設、それから通信・交通システムなどの無料利用。また、18才からは参政権とエアーカーなどの特別交通システムの個人利用権が、また、20才以上の成人には、結婚権、この結婚権には結婚と同時に400u(約120坪)の土地と、その内40坪に家を建てる権利が与えられ、残りの80坪を家庭菜園と果樹を含んだ庭を造りそれを適正に管理していく義務が課されます。一方、独身者には200uの土地に20坪の家を作る権利が与えられ、40坪の庭を造りそれを管理する義務が課せられます。また、18才から20才までの間に大学教育を受けない者には社会福祉関係の奉仕義務が課されます。そして20才以上で大学教育を受けない者は一律に一日7時間、年間200日の公務に就かなければなりません。その対価として一律、月20,000ロータスが支給されます。これは70才まで続きます。…ところで、衣食住についてもう少し具体的に説明しますと、まず住居ですが、結婚が決まりますと、二人が希望する土地の区画に住宅を建て、庭をつくるために、その設計から建築までを、六ヶ月間かけて、それぞれの専門家と婚約者を中心にいろいろ相談しながら推し進められます。そしてその建て前の時には近所の人たちもボランティアで多く手助けに駆けつけます。そして、家の完成とともに結婚式を挙げて二人は入居します。家は少なくとも70年以上は持つように造られ、基礎部分には免震構造や、生活廃水処理のため微生物を利用した自然浄化システムが完備され、その浄化された水は庭の池や草木への水遣り用に使われます。また、電気エネルギーは太陽電池や燃料電池が主に利用され全て自家発電されます。そしてその燃料電池用の水素も浄化システムで作られた水から取り出されます。部屋の中は全て冷暖房完備しており、音響システムも組み込まれています。それから、テレポーターで受信した映像情報を大型画面で見るために50インチのモニターが置かれ、その他、個人用の小型のモニターも支給されます。その他、全自動の洗濯機や掃除機、それから冷蔵庫やキッチンシステムが完備されます。このように生活は文化的な状態を維持できるように配慮されています。しかし同時に私たちの利用する家も施設も電化製品もその他のさまざまなシステムもできるかぎりリサイクルして自然への負担を最小限に止めるように工夫されています。
食料に関しては、週二回、ひとりそれぞれ1,000ロータス分の食品のリストを家ごとにまとめてテレポーターで注文し、それを近くの食品集配所に指定された曜日ごとに各家庭から取りにいきます。その時運搬用には各家庭専用の小さなコンテナが使われ、ゴミになるような包装は一切されません。わたしたちの社会では一般ゴミの収集は行っていません。ゴミはまったく出ないようになっていますから。野菜くずなどは各家庭の庭で肥料として有効利用されますし、その他あらゆるものがリサイクルされるシステムが完成していますから。
衣料品については、リサイクル品展示場に行けば無料で手に入りますし、新しい自分のオリジナルのものが欲しい場合には、有料で生地を購入し、デザイン専用シートに好みのデザインを記入して生地と一緒にドレスメーカーにセットすれば自動的に裁断し、プリントし、縫製して出てきます。
後は自分の好みに合わせて手を加えれば完成という訳です。ドレスメーカーも有料でいつでも利用できます。さきほど理沙が着ていたモンシロチョウのワンピースもドレスメーカーで作ったんですよ。」
「なるほど、そうだったんですか。」
「そうよ、小山さん。お母さんに100ロータス出してもらってドレスメーカー借りて作ったのよ。ほかにも何着か作ったわ。また、見せてあげるわね…」
その時、部屋の片隅から鼻歌のようなものが聞こえ始めたかと思うと直径30センチほどの円盤のような形をしたものが忙しく動き始めた。
「ああ、もう5時か。小山さん、しばらく辛抱してください、自動掃除機が部屋の掃除を始めましたので。なに、すぐ終わりますから。」
「そう、すぐ終わるわ、小山さん。うちでは朝の9時と夕方の5時にお掃除ロボットが部屋のお掃除をすることになってるのよ。」
わたしは、自分の腕時計を見て、時間を確かめてみた。ちょうど5時だった。
「山本さん、今日は何月何日でしたでしょうか?」
「7月4日の金曜日ですよ。」
確かに今日は自分にとっても7月4日の金曜日だった。それでは、わたしは西暦2003年7月4日の金曜日から、220年後の、西暦2223年、こちらの世界の暦で言えば
LOTUS 200年の7月4日金曜日にタイムスリップしたことになる。そして偶然にも、2003年と2223年とは、その日にちと曜日がちょうど同じ組み合わせになっているらしかった。
やがて、お掃除ロボットは、リビングとキッチンのゴミを手早く吸い込み終わると、そのまま鼻歌を歌いながら廊下へ出て行ってしまった。