「小山さん、ここはJP−136という地区で、人口は20万人±1万人となっています。つまり、人口の上限が21万人で下限が19万人だということです。この範囲内で人口移動や産児制限が行われ、また食料やその他の生産調整や調達が行われます。つまり、地産地消ということで、世界中のあらゆる地区においてできるだけ自給自足することが原則となっています。もし、どうしても地区内で賄うことができないものがある場合には、最も近い地区と連携・協力を図って調達します。輸送にかかる無駄を最小限にするためです。無駄は自然環境にも人間の労働にとっても負担になりますからね。
ところで今、地球上の全人口は約50億です。一時は100億人を超えそうになったこともありましたが、全世界的な人口調整をおこなって現在のレベルに落ち着いたのです。この人口が自然と人間が調和して永続的に生きていけるぎりぎりの線だと今わたしたちは考えています。この数字は、わたしたち人間も自然の一部であり、その自然との調和の中でしか生き続けられないのだという認識の上に立って、欲望の追求を最優先にするような過去の節度のない利己主義や人間中心主義をやめ、大地と水と空気と、そして植物や動物などあらゆる生き物たちとの全体的なバランス状態を保ち続けることのできる生活様式や社会制度を模索し続けてきた結果導き出されたものです。この50億の人間が、自分たちの住んでいる地区の歴史や文化や自然環境などによって形作られたそれぞれの自然的および精神的な風土に合わせて、それぞれの地区を創造的に建設していきます。人口は、砂漠や草原地帯などの人口密度の低い地区で5万人、都市部などの人口密度の高い地区で50万人のところまでいろいろあります。そして、現在、世界にある約3万の地区がそれぞれトランスポーターやさまざまな交通手段や輸送手段を用いて網の目のように連絡を取り合いながら、自然災害やその他のさまざまな予測のつかない事故や困難にも対処しています。わたしたちの世界では今、『だれも、人の本質権を、いかなる形においても侵害してはならず、また、させてもならない。』という原則に基づいた完全民主主義ないし絶対民主主義制度をとっています。すべての地区、およびすべての個人が本質的に平等の権利を持ち義務を負うという制度です。そのため、働ける能力のある20才から70才までの成人は一日7時間、年間200日の公務に就かなければなりません。その労働の対価として、一律、月20,000ロータスが支給されます。また、住民全員が、衣食住、医療、教育、通信、交通そのほか健康な心と体の維持に必要な基本的な施設の利用に関し、その生涯にわたって無料のサービスが受けられます。しかし、私的所有権は一切認められません。相続権も知的所有権もそのほか個人的ないかなる形の特権も認められません。ただ、生涯にわたる優先的専用権が土地と住居とそれに付随した設備や家具、および衣料品や正当に取得した楽器やその他の道具などに認められるだけです。そのほかの一切は、地区住民全員ないしは地球社会全体の共同管理としています。このような完全平等主義の下で、わたしたちはみな、本質的な思想と行動の自由を日々謳歌しているのです。おかげで、今は失業という言葉も自殺という言葉もホームレスという言葉も自己破産という言葉も貧困という言葉も金持ちという言葉も差別という言葉もいじめという言葉も不登校という言葉も引きこもりという言葉もやくざという言葉も犯罪という言葉もテロという言葉も戦争という言葉もほとんど死語になってしまいました。わたしたちは今多くの不安から解放されています。それで、人はみな自分の本当の気持ちに素直に生きることができるのです。」
そのとき玄関先で人の声がして、やがて、スリッパの音とともに若い娘が部屋に入ってきた。
「ただいま、お父さん。」
「おかえり、理沙。」
白っぽいワンピースを着たその娘は、わたしの方を不思議そうに見遣ると、山本さんに向かって、だれ? と聞いた。
「理沙、失礼でしょう、そんな言い方をして。小山さん、許してやってください、口の利き方も知らないおてんばな娘でして...」
わたしは恐縮している山本さんに、どうぞお気になさらないでくださいと言いながら、自分は小山幸一だと自己紹介した。すると、その娘は、わたしは山本理沙、中学2年生よ、と言ってニコッと笑った。わたしもその笑顔に引き込まれるようにして笑った。
「この服何に見える。」と言って、理沙は、着ていたワンピースの裾を両手で軽くつまんでポーズをとった。
「何に見えるって?」わたしはその唐突な質問に少し面食らいながら、頭をわずかに後ろに引いて理沙の着ているワンピースをまじまじと眺めた。よく見ると、それはどこか白い蝶のようにも見えた。その全体の形や両方の肩と胸にある薄墨色の斑点などからそのような感じを受けたのだが、さらに襟元の二つの黒い目のようなボタンとそこから弧を描いて伸びている二本の触角のような刺繍に気が付くとそれは確信に変わった。
「チョウチョだ、モンシロチョウだ。」
理沙の丸いふっくらとした顔が喜びに輝いた。
「ワァー、嬉しい! こんなに早く分かってくれた人は初めてよ。どう、似合うでしょう!」
と言いながら、理沙はその場でくるりと一回転した。
「この娘はチョウチョが大好きでして...」と、山本さんが目を細めて言った。
「この服わたしがデザインして作ったの。 ほかにもあるのよ!」 色白の顔を仄かに紅潮させながら理沙は大きな目をさらに大きくして言った。その時わたしは理沙の瞳の色が日本人にしては少し明るすぎると思いながら、
「自分でデザインして作ったって、そいつはすごいな。」と、半ばは理沙に、半ばは山本さんに向かって言った。
理沙は笑いながら両手をちょうちょうのようにひらひらさせながらそのままリビングから出て行ってしまった。
「あの娘は今は蝶が大好きなんですよ。これまでにも、もういろんなものが好きになりまして、そのつど自分が好きになったものと一体化してしまうんです。小学校に入る前には花が好きになりましてね。この家の庭や隣の家の庭に咲いている花、それから公園に咲いている花なんかも好きになりまして、たとえば、スミレやフリージア、コスモスにアマリリスにグラジオラス、それに睡蓮や桜の花なんかも、もう次々と好きになりましてね。それから小学校に入ると、今度は鳥が好きになりまして、すずめや鶯やめじろやカワセミ、それから白鳥や丹頂鶴、そうそう丹頂鶴が好きになった頃にはよく鶴の舞を舞っていましたっけ、そのうちついにはカラスまで好きになりまして、そして中学生になった今はチョウチョが大好きなんですよ。おかしな娘でして...、いや、トンボやめだかが好きな親がチョウチョの好きな娘をおかしな娘だなどという資格はありませんがね、いや、まったく、あはははは。」
わたしは少し薄くなりかけた頭を掻きながら嬉しそうに娘のことを話し続ける山本さんの顔を見ながら、ふと、理沙の顔立ちがそんな山本さんとどことなく似ていることに気が付いて、理沙のことが少し分かったような気持ちになった。
「かわいい娘さんですね。お子さんはお一人ですか?」
「いえ、上にもう一人います。先月ちょうど二十歳になったばかりの娘です。大学で地区改善学を学んでいます。」
「地区改善学?ですか。」
「はい、世界中の地区ごとの現状を学び、なにか問題があればその改善を提案し、また突然の災害時にその支援や復興を図ったり、地区と地区との間の連携をよりスムーズにする方法を考えたりする学問です。そしてそのマスターになれば、地区改善員としてその仕事に生涯にわたって専念することができるんです。」
「よくは分からないんですが、なにか素適な学問のようですね。」
「ええ、娘もやる気でがんばっているようです。」
山本さんは満足そうにうなずいた。
「ところで、山本さん、日本の人口は今どのくらいですか。」
「約八千万です。」
「八千万人ですか。」
「少ないとお思いですか。」
「はい、ずいぶん少なくなりましたね。でも、江戸時代の人口が三千万人だったことを思えば十分多い人口だともいえますね。」
「そうですね。ところで、小山さん、わたしたちは今ではあまり国という単位ではものを考えなくなりました。すべて、地区と地球社会という単位で考えるんです。昔のナショナリズム的な考えや大国主義的な考えが何世紀にもわたって人類全体に与えた大きな弊害を十分に反省した結果のことです。ですから、日本国民という意識も日本人という意識も今はあまり強くありません。学校で世界史を習うときに少し意識するくらいで、日常生活の中で意識することはほとんどありません。それぞれの地区は地球社会全体と直接つながりあっているのです。それから、いまでは、人種や民族や宗教や習慣の違いなどにこだわる人もいません。それぞれの歴史的文化的背景や自然環境の違いなどを十分に理解し、お互いに認め合い尊重し合って、共に理想的な地球社会の実現に向かって努力しています。」
そのとき、理沙が薄いピンク色のタンクトップと白いスパッツ姿でふたたびリビングに入ってきた。
「ねえ、何の話してるの。」
「今ね、理沙ちゃんのお父さんにいろいろのことを教えてもらっているんだ。僕が今の時代のことを何にも知らないんでいろいろ詳しく教えてもらっているんだよ。」
「え、小山さん、大人なのに社会のこと何にも知らないの? 変なの...」
「これ、理沙、また失礼なことを...」
「それじゃ、いいわ、小山さん、理沙が教えてあげるわ。遠慮しないで何でも聞いて!」
「ああ、それは有難いな。よろしく頼むよ。実は僕、西暦2003年の遠い昔の時代から来たものだから、それで、今の時代のことが何にも分からないんだ。」
「ウッソー、ホントー? 冗談ばっかし。ほんとにホントー? いいわ、じゃそういうことにしておいてあげる。この理沙ちゃんが何でも教えてあげるから、任しといて。
じゃ、まず何から教えてほしい。」
「そうだな、じゃ、今、中学校で何を習っているのか教えてくれないかな。」
「なーんだ、そんなこと? ま、いいわ、教えてあげる。」
理沙は父親のすぐそばに座りながら話し始めた。
「午前中の4時間は、自然の理解と心の理解の授業で、午後の2時間は保健体育や美術や音楽や家庭科の授業よ。」
「自然の理解と何だって?」
「心の理解よ。自然の理解では、宇宙や銀河系や太陽系や地球なんかの歴史とその構造、それから地球生命の誕生からその進化や多様性やエコロジー、そのほか物理や数学、気象学や海洋学なんかも勉強するのよ。そして、心の理解では、いろいろな宗教の教えやその歴史、それから哲学やいろんな芸術、文明史に心理学、そのほか瞑想の仕方なんかも習うのよ。」
「ふーん。それで宗教の教えってこれまでにどんなこと習ったの?」
「もういろいろ習ったわ。キリスト教の聖書も読んだし、イスラム教のコーランも読んだし、仏教の原始経典や浄土三部経それから華厳経や法華経の抜粋なんかも習ったし、それについてみんなで話し合ったりもしたわ。そのほかジャイナ教のことやヒンズー教のバガヴァッドギーターやウパニシャッド、それからアイヌの神話やネイティヴ・アメリカンや中南米のインディオの考え方なんかも習ったし、もちろん日本の神道についても教えてもらったわ。そして、世界にはいろんな宗教や神話、考え方や生き方があることがよく分かったわ。そしてそれらをお互いに尊重し合うことを学ぶのよ。この世界には無限に大きな一つの真実があるだけで、その真実世界のすべてを理解できる人などこの世には一人もいなくて、いろいろの宗教はその真実世界の一つの見方に過ぎなくて、すべての宗教を集めてみてもその無限に大きな真実世界のすべてが分かるわけではなく、人間は永遠にその無限に大きな真実世界の神秘を理解しようと努力し続けていかなければならないのよ、ねえ、お父さん。」
「ああ、そうだね、大変よくできました。」
「今は中学校でそんなことを習っているんですか。」
「わたしたちは、中学校の3年間は精神的なことを吸収するのに最もいい時期だと考えているんです。中学三年生になると、今度は、修道院や禅堂でそれぞれ一週間ずつ祈りと座禅と労働の実地研修があります。それから、道元禅師の正法眼蔵や、孔孟思想や老荘思想についても学びます。われわれは、子供たちが学んでいる今は十分理解できなくてもその後の長い人生の中で次第にその理解も深まっていくものと考えているのです。それからまた、中学生活の最後の一ヶ月に人類の歴史について徹底的に話し合います。人類の歴史を客観的にたどり直し、その良い点や悪い点を再確認し合います。そして、過去に人類が犯したいろいろな過ちをふたたび繰り返さないように心に刻み込むのです。そして、歴史を超えて自分たちのより良い未来を自分たち自身の手で築き上げるように皆で確認しあいます。わたしたちはこの授業を中学生活を締めくくるのに相応しい最も重要なものだと考えています。」
「なるほど、それでは小学校では何を学んでいるんですか。」
「小学校では読み書き算数や、体操や音楽、そしてこれが最も大切なことなのですが、人間と自然との深い関わり合いのことなどを学びます。わたしたちは、小学校はなるべくのびのびと、愛情を存分に受けながら地球社会の一員になるための最も基本的なことを学ばせるところだと考えます。ですから、詰め込み式の授業もランク付けするためのテストもいっさい行いません。ちなみに、小学生までの小さな子供を持っている母親は皆有給でその公務を免除されます。子育てに専念し、十分に愛情を注ぎながら子供たちを導くことができるようにという配慮からです。」
「へえ、そうですか、それは素晴らしいことですね。ところで、高校では何を習うんですか。」
「高校では主に社会へ出てから就かなければならない公務や家庭生活に必要な技術を身につけます。農業の基礎的作業や木造建築、造園作業、林業、料理、裁縫などあらゆる技術の基本を実地に学びます。そして、一年生と三年生のそれぞれ一ヶ月位を海洋と宇宙について学ぶため、海底都市と宇宙ステーションで生活します。そこで、宇宙と海についてより本質的な理解を深めるのです。」
「高校生が、宇宙ステーションですって?海底都市ですって?」
「はい、それぞれ、スーパー・スペースシャトルとスーパー・シーシャトルで往復します。じつは、わたしは家内と高校三年生のときに宇宙ステーションで出会ったことがきっかけで結婚したんです。」
「あ、また、お父さんのお惚気話が出たわ。」
「理沙、これ、黙りなさい。いえね、なに、わたしの家内は、たまたまわたしたちの学校が宇宙ステーションに行って研修していたときにAM-085地区から、いや、もっと小山さんに分かりやすいように言えば、昔のアメリカのカリフォルニアあたりから同じように研修に来ていまして、そのときたまたま出会って、なんとなく気が合って、それから付き合うようになって、そしてお互いが22才の年に結婚してここに住み始めたというわけなのです。家内の名前はセレステ(Celeste)といいます。正しい発音はセレストというらしいんですが、わたしはセレステという響きが好きなのでそう呼んでいるんです。意味は空色ということで、その形容詞のセレスティアルは天国のようなとか、神々しいとか、この世のものではない、最高の、という意味になります。また、形容詞だけではなく名詞としても使われて、その意味は天人です。
実は、わたし、家内に宇宙ステーションの展望台で初めて出会ったとき、一目惚れしただけでなく、その名前にも惚れてしまったのです。そしてまた、そのような名前を持った女性と出会ったところが宇宙ステーションの中だったということで、なおさら因縁めいたものを感じてしまったのかもしれません。」
「ね、小山さん、父はお客様があると必ずこの話をするのよ。娘ながらもうご馳走様って感じ。」
「理沙はもう少し黙っていられませんかねえ。」
「いやー、ほんとに素敵なお話ですね。早く奥様にお会いしたいなあ。」
「いやあ、今ではもう年ですから昔の面影は残っていませんがね。」と言いながら、山本さんは嬉しそうに笑った。