LOTUS 200 U- 2

 

 

 

その時キッチンからセレステさんがお茶を持ってリビングに入ってきた。

 

「お早うございます、小山さん。 昨夜(さくや)はよく眠れましたか。」

「お早うございます、セレステさん。はい、おかげ様でぐっすり...」

「それはなによりでした。さあ、お茶をどうぞ。」

「はい、どうもありがとうございます。」

「朝ごはん、すぐ用意できますから、しばらくお待ちくださいね。」

「はい、どうも、すみません。 ...ああ、そうだ山本さん、今朝(けさ)温室(おんしつ)の黄色い睡蓮(すいれん)の花びらの上で雨蛙(あまがえる)が寝ていましたよ。」

「ははは、温室の雨蛙をご(らん)になりましたか。 小山さん、どうもその雨蛙は黄色い睡蓮の花びらが大好きなようなんです。よくその上で()ているんですよ。」

「そうですか。しかし、睡蓮の花びらで寝ている雨蛙って可愛(かわい)いものですね。」

「ええ、ほんとに可愛いものです。 考えてみれば、この世に生きているものはどれもみんな可愛(かわい)いですね。 グッピーも、メダカもゲンゴロウもドジョウもみんな可愛いです。 ところで小山さん、モニターで今日のわたしたちの小区(しょうく)の予定を見てみましょうか。どこで、どんな(もよお)し物があるかひとつ見てみましょう。 えーっと、そうですね、今日は公園で俳句会に、大道(だいどう)(げい)に、テニス大会に、バザールに、公園の樹木(じゅもく)剪定(せんてい)(せい)姿()のボランティア活動、そのほか()り大会などいろいろありますね、まあ、今日は土曜日ですからね。」

「すみません、山本さん、今、わたしたちの小区(しょうく)、と言われたでしょうか。そうしますとこの地区はいくつかの小区(しょうく)に分かれているのですか。」

「はい、そうなんです。この地区(ちく)は17の小区(しょうく)と5つの山里(やまざと)地区(ちく)に分かれています。一番大きな小区は中央公園を中心とした中央区で人口は2万人です。残りの16の小区の人口は九千人から一万二千人までの間にあります。山里地区は千五百人から二千人までで、(おも)にそれぞれの近くの山林(さんりん)管理(かんり)にあたっています。それで、17ある小区はその中心にそれぞれの地区の公園があって、その公園を中心に円形(えんけい)()蹄形(ていけい)住居(じゅうきょ)が取り()いているのです。そして、地区ごとにテレポーターによる連絡網(れんらくもう)(きず)き上げられています。そしてそれぞれの小区はそれぞれ特色(とくしょく)のある公園を(つく)り、それを管理し、また独自(どくじ)のコミュニティー運営(うんえい)(おこな)っています。それから、小区にはさらに千人(せんにん)単位(たんい)()()()()()()()()()があって、その中心に食品集(しょくひんしゅう)配所(はいじょ)(もう)けられているのです。」

「ああ、なるほど、やはり生活の実情(じつじょう)に合わせてそれぞれの小区も適切(てきせつ)規模(きぼ)区分(くわ)けがなされているのですね。 そして、その一番身近(みぢか)なコミュニティーがサブ・コミュニティーであり、その他に五軒(ごけん)(きん)急連絡網(きゅうれんらくもう)もあるんですね。」

「はい、そうなのです。そして、小区(しょうく)やサブ・コミュニティーで何か住民の意見を聞かなければならないようなことが起きると、その都度(つど)臨時(りんじ)委員会(いいんかい)の委員が選挙(せんきょ)あるいは抽選(ちゅうせん)によって選出(せんしゅつ)され、その臨時委員会によってさまざまなことが()仕切(しき)られて一つの結論(けつろん)へと(みちび)かれていきます。そして、いったん結論に(たっ)すると臨時委員会は解散(かいさん)するのです。」

 

その時、姉妹(しまい)(そろ)ってリビングに入ってきた。二人とも普段(ふだん)部屋(へや)()らしいゆったりとしたワンピースを身につけていた。

「お早うございます。」

「あ、お早うございます美沙さん。今日はよろしくお願いします。」

「こちらこそよろしくお願いいたします。」

「小山さん、今日はいろんなところへ行きましょうね、きっと楽しいことがいっぱいあるわよ。」

「ほんとに楽しみだな。」

「小山さん、今日は九時頃に、中型(ちゅうがた)のエアーカーに乗って一・二時間ほど、高度(こうど)百メートルから五百メートル位のところからこの地区のパノラマをご(らん)いただきます。その(あと)は、小型のエアーカーを使ったり自転車(じてんしゃ)に乗ったりしながら、いろいろなところを目の前で見ていただきながらご紹介(しょうかい)していく予定です。」

「そうですか。それではまずこの地区の全体(ぜんたい)様子(ようす)を空から(なが)めることが出来るのですね。」

「はい、それがこの地区を知っていただくのに一番理解(りかい)しやすい方法(ほうほう)だと思いますので...」

「いやあ、ほんとに(たの)しみになってきました、上から(なが)めたこの地区のパノラマはどんなものでしょうかねえ。」

「小山さん、高い空からこの街を(なが)めるのはわたしも今日が初めてなのよ、だからとっても楽しみなの。」

「えっ? 理沙ちゃんもまだ見たことが無かったの?」

「そうよ、写真で見たことはあるけど、実際に見るのは初めてなの。」

「そうなんだ。」

「美沙、理沙、もうすぐごはんだから、食卓の用意をして頂戴(ちょうだい)。」

「はい。」

二人は台所に入っていった。

 

それからまもなく食事になり、納豆(なっとう)に焼きタラコにあさりの味噌汁(みそしる)に焼きのりに隣のキムさんから(いただ)いたキムチのおかずでおいしく(いただ)いた。

 

食後しばらくして, 着替(きが)えを済ませた山本さんが、自転車に乗って委員会の会場である中央公園へと向かった。

それからしばらくはモニターで世界のニュースを見ながら取り留めもなく話しながら過ごしていたが、やがて二人の姉妹は着替えやそのほかの仕度のために二階へ上がっていった。

 

「ああ、そうだわ、小山さん、一つお(ねが)いがあるんですけどよろしいかしら。」

「はい、セレステさん、何でしょうか?」

「わたくしは今日10時頃におじいさんの家に行くのですが、たぶん美沙たちもこの地域(ちいき)の案内の途中(とちゅう)でその家に立ち寄ることになると思います。それで、(じつ)は、今年80歳になる義父(ぎふ)は少しボケが始まっていまして、小山さんにお会いしても少しとんちんかん(・・・・・・)な受け答えをすると思うんです。その時、申し訳ないんですけど、すべて義父(ちち)の世界に合わせてあげていただきたいんです。どうか、よろしくお願いします。義母(はは)の方はしっかりしていますので問題は無いのですが...」

「はい、分かりました、もちろんです。」

義父(ちち)は、暴力(ぼうりょく)()るうとかという事は無いのですが、時々、人を()(ちが)えてしまうんです。ですから、あるいは小山さんを誰か義父(ちち)の昔の知り合いと取り違えて話しかけてくるかもしれませんが、その時はどうか義父(ちち)の世界に合わせて振舞(ふるま)っていただきたいのです。」

「はい、お(やす)御用(ごよう)です。」

「どうもありがとう、小山さん。ボケの始まった人たちにも、いつまでも自尊(じそん)(しん)は残っているんです、そしてその自尊心が傷つけられるとその人はたちまちそれに敏感(びんかん)に反応して、子供のように反抗(はんこう)したり暴れたりしてその感情を表わそうとするものなのです。ですけど、どんなに痴呆症(ちほうしょう)が進んでしまった人でも、その人の自尊心を傷つけるようなことさえしなければそれほど凶暴(きょうぼう)になることもないのです。」

「なるほど。どのような人でもその人の人間としての尊厳(そんげん)尊重(そんちょう)して接してあげなければいけないんですね。」

「はい、おっしゃる通りなのです。どのようなことも環境しだいで良くも悪くもなるのです。老人のボケ症状(しょうじょう)もまた同じなのです。今は義母(はは)がまだ達者(たっしゃ)で、また元来(がんらい)しっかりした人なので、わたくしたちも週に一、二回お見舞(みま)いがてらお手伝いするだけで()んでいるのですが、これからどのように症状が進行していくか分かりませんので、その時その時に(おう)じて最善(さいぜん)の方法と環境を整えていきたいと思っているのです。そして、出来るだけ身内(みうち)の者で、自宅で介護(かいご)していきたいと思っています。それでもどうにもならなくなれば、施設(しせつ)にお世話になろうかと考えているんです。しかし、それはあくまでも最後の最後の手立(てだ)てなのです。」

「皆さんにそれだけ手厚(てあつ)く思われていらっしゃるのであればお義父(とう)さんもお幸せですね。こちらでは、健康なときも病気のときもそしてきっとこの世に別れを告げるときにも、いつも人間としての尊厳(そんげん)を失うことがないのですね。」

「はい、それはわたしたち住人(じゅうにん)一人一人がいつも心掛(こころが)けていることなのです。人間としての尊厳(そんげん)を失ってはこの世に人間として生を受け、人間として生きていく価値がありませんからね。これはわたくしたちにとってもっとも基本的(きほんてき)な、大切に守られなければならない本質権(ほんしつけん)の一つなのです。」

「なるほど...。ところでセレステさん、昨日(きのう)いろいろなお話を聞かせていただいたんですが、最後にもう一度PLEROMA(プレロマ)について教えていただきたいのですが。 」

「はい、どのようなことでしょうか。」

結局(けっきょく)PLEROMA(プレロマ)って何なのでしょうか?」

「そうですね...、PLEROMAって結局のところ、この世のすべてのものの(みなもと)なのですが、それはつまり(きよ)らかなエネルギーが充満(じゅうまん)している世界なのです。ですから、そのようなPLEROMA(プレロマ)世界から生まれてきたこの世のあらゆるものも皆、同じように(きよ)らかなエネルギーなのです。それで、もちろん、一人の例外もなくわたくしたちすべての人間の心も体も(きよ)らかなエネルギーですし、浄らかなエネルギーで作られた()のち(・・)なのです。 ですから、わたくしたちはその(きよ)らかなエネルギーに相応(ふさわ)しく(きよ)らかに生きていかなければならないのです。そのためには自分たち一人一人が自分自身の心を浄らかにし、自分たちが住んでいる社会のシステムを浄らかにしていく必要があるのです。そして、そのような考えを(もと)にして、ロータス元年から二百年掛けて築き上げられてきた社会が、わたしたちが今生きているこの社会なのです。」

「ああ、なるほど、よく分かりました。皆さんにとってこの世のすべては浄らかなエネルギーなのですね。 結局(けっきょく)、すべては(せい)なるものなのですね。 つまり、時間も空間も物質も生命も精神(こころ)も、この世の何もかもが...」

「ええ、まったく小山さんのおっしゃる通りなのです。」

 

その時、これからわたしにこの地区の案内をしてくれる姉妹が二階から(そろ)って下りてきた。美沙さんは黒のタンクトップに白のスラックス姿で、そして、理沙ちゃんの方はと見れば、黄色いTシャツに同じ色合いのキュロットを身につけていた。そして、それは全体がまるで蝶のような形をしており、またそれらにはモンキチョウのような模様(もよう)がプリントされているのだった。

「理沙ちゃん、今日はモンキチョウだね! 可愛(かわい)いね、すごく似合(にあ)っているよ。」

「そうよ、わたしは今日はモンキチョウなのよ!」

「この調子じゃ、理沙ちゃんそのうち大きくなったら、アゲハチョウや大紫蝶(おおむらさき)に大変身しそうだな。」

「うふふ、さあ、どうかなあ。 小山さん、わたしにアゲハチョウになって欲しいの?」

「うん、そうだな、理沙ちゃんがアゲハチョウになったらどうなるか見てみたいものだな。」

「そう、それじゃ、いつかわたし小山さんのためにアゲハチョウになってあげてもいいわよ。」

その理沙ちゃんの話し振りにはどこか大人のわたしをからかう様な調子があった。

「んー? いやあ、どうも理沙ちゃんには負けるよ、今からこれじゃ、僕なんかとうていいつまでも太刀打(たちう)ちできそうにないなあ。」

「なあに、小山さん、それ何のこと?」 と、理沙は少しとぼけた口調(くちょう)で言った。

「小山さん、今から十五分ほど(あと)にエアーカーが(おもて)の通りに来ますから、それに乗ってわたくしたち出発することになりますので...」

「あ、そうですか、十五分後ですね。分かりました。ありがとうございます。いよいよ出発ですか。」

「ええ、もうすぐに出発ですわ。」

「いやー、何かほんとにワクワクしてきますね。この先なにがわたしを待っているんでしょうか。」

「それは見てのお楽しみですわ。でも、わたくし上手(うま)くご案内できればいいんですけど...」

「とんでもないです。美沙さんに案内してもらえるなんてわたしもまったく(うん)のいい男ですよ。」

「まあ、そんなに言っていただいて、わたくしも光栄(こうえい)ですわ。でも、その分だけプレッシャーも感じますけど。」

「まあ、わたしなど、美沙さんが未来の地区(ちく)改善員(かいぜんいん)さんになるための練習(れんしゅう)(だい)のつもりで気楽(きらく)に案内していただければもう十分ですから。」

「ほんとに小山さんて(やさ)しい方ですね。」

「いやー、そんなことないですよ、あはははは。」

「小山さん、理沙がちゃんと案内してあげるから心配しないでね。」

................」

「さあ、出発前に、お茶をもう一杯召し上がれ!」

「はい、ありがとうございます。 じゃ、いただきます。 なぜか、ちょうど咽喉(のど)(かわ)いていたところなんです。」

 

 

 

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