LOTUS 200-14

 

 

 

「小山さん、家内のセレステです。セレステ、こちらが今お話した小山さん、はるばる西暦の遠い時代からこちらにいらっしゃったんだよ。」

「はじめまして、小山さん。よくいらっしてくださいました。わたくしセレステです。どうぞごゆっくりなさっていってください。」

「小山です。今日は突然やって来てご迷惑(めいわく)をおかけしています。」

「いいえ、ちっともかまいませんのよ、大歓迎(だいかんげい)ですわ。」

セレステさんは、まだかすかに英語(なま)りのアクセントが残っているとはいうものの、非常にきれいな日本語でわたしを(むか)えてくれた。

「ごめんなさいね。みなさんをお待たせしてしまって。娘たちが用意してくれたようなので、さっそく夕食にいたしましょうか。わたくしちょっと失礼して、二階ですぐに着替えてきますから。」

「うん、早く食べましょう。さあみなさん、こちらの食堂に来てください。」

台所とカウンター越しにつながった食堂に入ると、そこにはもう食卓の上に料理が用意されていてすぐにでも食べられる状態になっていた。

「もうきれいに用意ができていたんだね。意外に早かったね。」

「お姉ちゃんと二人だから、あっという間に用意ができたのよ。」

「いえ、もうほとんどお母さんが準備しておいてくれたから、後はちょっと手を加えるだけでよかったのよ。」

「今日は肉じゃがと、ほうれん草のおひたしと(あゆ)の塩焼きよ。」

「えっ、鮎の塩焼きまであるんですか。すごいごちそうだなあ。こちらでは鮎はたくさん取れるんでしょうか?」

「はい、ここでは鮎はどの川にもたくさん泳いでいます。水もきれいになって、そのほかのいろんな魚もたくさん泳いでいますよ。」

「驚きですね。明日はそんな川の様子もぜひ見てみたいものですね。」

「もちろんお見せしますわ。この地区は水に関してはちょっとしたものですからね。どうぞ楽しみに待っててくださいね。」

「小山さん、明日はいろんなところをいっぱい見せてあげるからね。見ればきっと、いろんな心配事やなんかもすっかりなくなってしまうから。」

「明日がますます楽しみになってきたなあ。」

「ふふ、わたしもよ。今からなんだかうきうきワクワクするわ。」

「さあ、皆さん席についてください。小山さんはこちらのお席にどうぞ。母もすぐに下りて来ると思いますから、もう、ご飯もよそいましょう。」

「じゃ、失礼します。ああ、ほんとにおいしそうな匂いだなあ、この肉じゃが。」

「ほんとにおいしいわよ、小山さん。さっきわたし少しつまみ食いしてみたから分かるもん。」

「理沙はもう、まったく。 どうにかなりませんかね、そのお行儀(ぎょうぎ)良さ(・・)は。」

理沙は山本さんにそう言われてぺろりと舌を出した。

「まあ、中学生はみんなこんなものですよ。かわいいじゃないですか。」

「小山さんも、理沙をあまり甘やかさないでくださいね。今のうちにしっかり(しつ)けておかないと大きくなってからほんとに人に笑われてしまいますから。」

「いえ、理沙ちゃんだって大きくなればきっと立派な娘さんに成長なさいますよ。何も心配はいりませんよ。ねえ、理沙ちゃん。」

「そうよ、お父さん。もっとあなたの娘を信じなさい。」

「まったく、調子がいいんだから。」

「何が調子がいいんですか、あなた?」

「ああ、お前か。 いやね、理沙が相変わらずなのでね。」

「理沙がまた、何かお行儀の悪いことをしましたか。」

「そうなんだよ。」

「理沙、いけませんよ、お行儀よくしなくっちゃ。」

「はーい。」

「じゃあ、ほんとにお待たせしました。それではお食事にいたしましょうか。」

「そうだね。それでは、いただきます。小山さんも、どうぞ、召し上がってください。」

「はい、それでは、お言葉に甘えていただきます。」

「いただきまーす。」

「いただきます。」

「ああ、おいしい。ほんとにおいしいわ。」

「いやあ、このご飯もおいしいご飯ですね。おかずが無くても、ご飯だけでも十分食べられますね。味も香りもなんともいえないおいしさですね。」

「そうですか。このお米はこの地区みんなで工夫(くふう)に工夫を重ねて、丹精(たんせい)込めて作ったお米ですからね。それに無農薬ですしね。」

「いやあ、すばらしいです。それに、この肉じゃがもほうれん草のおひたしも鮎の塩焼きもみんなほんとにほんとにおいしいですね。ぼくは幸せだなあ。」

「ほほほほほ、小山さんってなんて面白(おもしろ)い人、まるで子供みたいですね。」

「あっ、はい、ここにいるとなぜか子供のころに戻ったような素直な気持ちになれるんですよ。」

「それはとってもいいことですわ。How wonderful!」

「あっ、お母さんが英語しゃべってる。」

「うふっ、小山さんを見ているとわたくしまで幸せな気持ちになりますわ。あなただって嬉しそうよ。」

「あはははは、いやね、今日は小山さんのお(かげ)でわたしも不思議な体験をさせてもらっているからね。こちらの地区のことなども(くわ)しくお話しているんだよ。」

「それより、お母さん、コンサートのほうはどうだったの?」

「とってもよかったわよ。みなさんとっても喜んでくださったわ。」

「谷川さん、例のグリーグの『ソルヴェイグの歌』歌った?」

「ええ、もちろんお歌いになったわよ。そのほか、ヴェルディの椿姫から『花より花へ』、アイーダから『おお、わが故郷』それからカンツォーネや日本のわらべ歌などもお歌いになったのよ。」

「それじゃ、宮田さんは『G線上のアリア』弾いた?」

「いえ、今日は宮田さん、わたくしと一緒にベートーヴェンの『クロイツェル』を弾いたのよ。とっても評判がよかったわ。」

「お母さんは、『平均率(へいきんりつ)クラヴィア曲集』弾いたんでしょう?」

「ええ、弾きましたよ。今日は第一巻の5番をね。」

「ねえ、今日、小山さんに、十年前に()ったあのお母さんのピアノ演奏(えんそう)()いていただいたのよ。そしたらね、小山さん、『とてもピュアで、とてもナチュラルで、とてもスピリチュアルな演奏ですね、本当にいつまで()いていても()きのこない、心に(やさ)しい演奏ですね、だって。』」

「あら、そんなことがあったんですか。とても嬉しいですわ、そう言っていただいて。」

「それから、お母さんとお姉ちゃんの演奏がとっても似ているって。お姉ちゃんの演奏が終わった後、小山さん、すごいって叫んでいたのよ。」

「いやあ、お恥ずかしいです。しかし、じっさい、お二人ともすばらしいピアニストですからね。わたしが感心したのも少しも不思議じゃないんです。」

「それから、お母さんの作曲した『愛の祈り』にも心が動かされたって。それで、『愛の祈り』のテーマについて教えて欲しいっていうことから、お姉ちゃんが、昔ピアノのレッスンを受けているときにお母さんから聞いたことがあるといって、その曲に込められた願いのことなんかお話したのよ。そうしたら、お父さんがそれは初耳だとか何とか言ってちょっと()ねたのよ。ね、お父〜さん!」

「いや、実際あの曲にそんな深い意味が(かく)されていたなんて知らなかったからさ、それで感心して、そう言ったのさ。」

「わたくし何て美沙に話したのかしらね。」

「お母さんの話では、あの歌は、この世のすべての(みなもと)であるPLEROMA(プレロマ)と一つになりたいという願いを込めて作曲したのだということだったわ。それから、これからはわたくし自身の推測(すいそく)(まじ)えてだけど、世界の本質(ほんしつ)(じゅう)(まん)し、最も高い次元の精神が充満し、善そのものの働きでもあり、また、結局はすべてのものと一体化しようとする愛そのものが完全な状態で充満している、そんな全き一なるPLEROMAのすべての働きを愛に代表させて生きていくのが多分、母の本当の願いだと思う、というようなことをお話したのよ。わたくし間違っていたかしら?」

「いえ、多分その時そのようなことを話したのでしょうね、わたくし。今もそれに近い気持ちで生きているつもりなのよ、お母さんは。まあ、実際のところはそうなっているかどうか自信は無いけれどもね。」

「まあ、しかし、あの曲にそんな願いが込められていたのだと思って(あらた)めて頭の中で聴きなおしてみると、今までとは違った風にも聞こえてくるようだね。あの曲全体が新しい本当のいのちを吹き込まれたみたいに、生き生きとしてくるようだよ。」

「あら、まあ、そう?それなら嬉しいんだけど。」

「しかし、本当にうらやましいことです。そんな風に自分の本当の思いをピアノ曲で表現することができて、それをご自身で自由にお()きになれることが。」

「はい、わたくしもピアノを弾けることが本当に楽しいんです。小さい頃から母に教わって身につけたものが今のわたくしの大きな喜びとなっているんです。」

「そして、その喜びを地区の皆さんにもお分けしていらっしゃるんですね、ピアノを教えたり、ボランタリーの演奏(えんそう)活動(かつどう)などをなさったりしながら。」

「はい、まあ、そういうことでしょうか。仲の良い演奏仲間もいますし、聴いてくださる方もいらっしゃいますので、大変幸せですわ。」

「お母さん、明日わたしとお姉ちゃんと二人で小山さんをこの地区の案内をするのよ。いろんなところをお見せするのよ。」

「おや、そうなの。二人でご案内できるかねえ。わたくしも一緒に行ければいいんだけど、明日はおじいさんの家に行かなければならないから行けないわねえ。」

「二人で大丈夫よ。心配しなくてもいいわよ、ねえ、お姉ちゃん。それから、明日はわたしたちもおじいちゃんの家に寄るかもしれないからね。」

「ええ、二人で十分にご案内できるから心配はいらないわ、お母さん。」

「まあ、美沙がいるから大丈夫(だいじょうぶ)だとは思うけど。」

「理沙もいるから大丈夫なの。」

「そうね、理沙もいるから大丈夫ね。」

「小山さん、お味噌汁のおかわりいかがですか。」

「はい、いただきます。この豆腐(とうふ)とワカメのお味噌汁もおいしいですね。このおしんこも、もう、何もかもみんなおいしいですね。どれだけでも食べられます。」

「どうぞ、いっぱい召し上がってくださいね。」

「はい、すみません。ありがとうございます。」

「あーあ、早く明日が来ないかなあ。小山さんと一緒(いっしょ)にいろんなところを見て回るのきっと楽しいだろうな。」

「わたしもほんとに楽しみです。今日はもうずっと驚きの連続でしたが、明日もまたそうなるのでしょうね。」

「うふふ、早くまた小山さんの驚く顔が見たいなあ。小山さん、面白いからわたし大好き。」

「わたしも理沙ちゃんが大好きですよ。明日はどんな服を着てくるのかなあ。」

「それはまだ秘密よ。ほんとは、わたしもまだどれにするか決めていないのよ。」

「きっと、かわいいだろうな。」

「うふっ。」

「ああ、そうだ、さきほど、ご主人に温室を見せていただいたんですが、すばらしかったです。あんな美しい温室を見たのは生まれて初めてです。(よる)()きの赤と白の熱帯(ねったい)睡蓮(すいれん)の花と、いろんな種類のランの花がほんとに美事(みごと)に咲いていて、それが睡蓮の(うき)()の濃い緑色や透明な水やその中を泳いでいる(いろ)(あざ)やかな熱帯魚や、さらにはそのすべてがたそがれ時のあたりの(あわ)い空色に()け込んでほんとに美しい一枚の絵のようでした。」

「あの温室は主人の一番のご自慢(じまん)で、主人も(ひま)さえあれば水温の管理や花の手入れに(せい)を出しているんですよ。わたくしたちもあの温室を見るのが大好きなんです。ご近所の人たちや同好(どうこう)の人たちもよく見にいらっしゃいますのよ。」

「お父さんはわたしたちよりあの温室のことを大事にしてるのよ。」

「そんなことは無いよ。お前たちだって同じくらい可愛いさ。」

「やっぱりね、わたしたち温室並みなんだ。」

「いや、おまえたちが一番可愛いさ、そんなことは分かりきっていることじゃないか。お父さん、お前たちがいなけりゃ生きていけないさ。」

「ほんとー?お父さん。」

「本当さ。当たり前じゃないか。」

「まあ、皆さん本当に仲がいいですね。」

「まあ、みんな言いたいことを言い合っていますよ。どこの家庭でもみんなこんなものなんでしょうか。」

「見ていて微笑(ほほえ)ましいです。わたしもこんな家庭が持てたらなあと思います。」

「きっと、お持ちになれますよ、小山さんなら。」

「そうだ、小山さん、わたしがお嫁さんになってあげようか。」

「その気持ちは嬉しいんだけど、理沙ちゃんはまだ中学二年生だからなあ。年の差もあるし。」

「もう少し待てば理沙もすぐ大人になって結婚できるようになるわよ。それに、年の差なんてちっとも気にすることなんか無いわ。」

「うん、そうだね。まあ、だけど、しばらくちょっと考えさせていただけますか。」

「ええ、いいわよ。よく考えておいてね。」

「まあ、理沙ったら、相変(あいか)わらずね。ごめんなさいね、小山さん、理沙がまだ子供で言いたい放題(ほうだい)で。」

「わたしもう子供じゃないもん。」

「はいはい、もうわかりましたよ、理沙。」

「ところで、奥さん、わたしもう少し奥さんの作曲された『愛の祈り』のテーマについてお聞きしたいのですが、よろしいでしょうか。」

「はい、どんなことでしょうか。」

「はい、じつは美沙さんからはじめて『愛の祈り』に()められている願いについてお聞きしたときになぜか、これこそがこのロータス世界をその根底(こんてい)から()き動かしている中心的な考えであり、その精神的(せいしんてき)原動力(げんどうりょく)なのだと直感(ちょっかん)したのです。それで、そのことについてより具体的(ぐたいてき)にいろいろお聞きしたいと思ったのです。そうすればこのロータス世界がわたしにも本当に分かるようになるだろうと思ったからなのです。」

 

 

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