LOTUS 200-12

 

 

 

「山本さん、もっと公務について詳しく教えていただきたいのですが、今はどのような仕事があるのでしょうか。」

「はい、衣食住に関するあらゆる仕事の他、医療(いりょう)社会(しゃかい)福祉(ふくし)老人(ろうじん)介護(かいご)、それから教育や通信、林業や環境保護などの仕事、そしてそれらの仕事が円滑(えんかつ)に行われているかどうかなどをチェックする管理的な仕事もあります。

より具体的には、たとえば衣料に関しては、新しい生地(きじ)服地(ふくじ)を生産したり、さまざまな既製品(きせいひん)をデザインしたり、それを作ったり、またあらゆる世代間で順送(じゅんおく)りに使われる多くのリサイクル品の管理業務などがあります。

食料に関しては、米や野菜や豆類、それから(あわ)(ひえ)などの雑穀(ざっこく)を作る農作業に関わるあらゆる仕事のほか、漁業や畜産、養鶏(ようけい)の仕事、それから豆腐(とうふ)やコンニャクや果物やパンや菓子やその他漬物(つけもの)やジャムなどのさまざまな食品を作ったり、それらを貯蔵(ちょぞう)管理(かんり)したり搬出(はんしゅつ)したりという仕事などもあります。

また、住宅に関しては、新築や改築、内装(ないそう)工事(こうじ)、修理、設計、取り(こわ)し、建築(けんちく)資材(しざい)のリサイクル、廃材(はいざい)処理(しょり)などに関する多くの仕事があります。

また、医療に関しては、あらゆる予防的管理や治療(ちりょう)・看護のほか、病理や医薬品開発などの基礎研究などの仕事があります。社会福祉や老人看護についていえば、さまざまな障害を持つにいたった人々の日常的なケアや自立(じりつ)支援(しえん)障害者(しょうがいしゃ)気配(きくば)りの行き届いた生活環境の整備や地域社会のサポート体制の確立とその改善にかかわる仕事などがあります。

それから、通信に関しては、通信施設の維持管理、地区内のニュース報道や世界中の多岐(たき)にわたる情報の整理・分析など、また、教育に関しては教科別の授業のほか、学校の事務的管理業務や校舎の営繕的(えいぜんてき)な仕事など、それから学校と地域社会との連携(れんけい)業務(ぎょうむ)、教科内容の研究改善などの仕事もあります。

そのほか、林業では、植林(しょくりん)伐採(ばっさい)間伐(かんばつ)などの山林(さんりん)の管理作業など、また、環境に関しては、公園や市街地や公共施設などの樹木の剪定(せんてい)整姿(せいし)や日常的な清掃などを含んだ維持管理作業のほか、土壌(どじょう)や水や空気の汚染防止や汚染(おせん)除去(じょきょ)などの仕事があり、そのほか、漁業や交通・運輸、また、鳥や獣たちのサンクチュアリとなっている自然保護区などの監視(かんし)の仕事などもあります。

また、食料に関して付け加えれば、農業用水路の管理や、畑の散水管理などの仕事のほか、食品(しょくひん)添加物(てんかぶつ)の検査なども含まれます。それから、あらゆる仕事に関する進行の管理やその内容評価の仕事もあります。ただし、進行管理や内容評価の仕事に()くには、四十歳以上でそれぞれの仕事に習熟(しゅうじゅく)している人かマスターの資格を持っている人でなければなりません。

このほか、運動施設や娯楽施設などの維持管理や飲食店の運営など数多くの職種があります。このようなさまざまな仕事のリストがテレポーターによって住民に伝えられ、住民は十一月中に来年度の自分の希望の職種と時期をテレポーターで申請(しんせい)します。それを十二月中旬までに地区全体で再調整して、その月の二十日に翌年の仕事のスケジュールが確定することになっています。

ここで、また繰り返しになりますが、わたしたちは争いや不幸を招く原因そのものをその根っこのところから取り除くことによって、理想的な社会を築き上げようとしているのです。争いや不幸の原因となるいろいろな形の不平等や不均衡(ふきんこう)、また、職業や立場の違いなどのほか、思想なども含めたあらゆるものごとの固定化によって生じる、さまざまな形の『対立軸』が生まれないような、真に公平で平等な社会システムを作り出す工夫によってです。わたしたちは社会的にあらゆるものを(よど)みなく流動(りゅうどう)させることによって、固定的な対立軸のまったく無い世界、すなわち、国家と国家いう対立軸(たいりつじく)も無ければ、支配者と()支配者(しはいしゃ)という対立軸も無く、人種と人種、民族と民族という対立軸もなく、資本家と労働者という対立軸も無く、生産者と消費者という対立軸も無く、宗教と宗教という対立軸もない、すべてが一つに融けあって(なめ)らかに流動するような地球社会を実現したいと思っています。そしてこのような固定的(こていてき)対立軸(たいりつじく)のない社会では住民の間に職業の貴賤(きせん)といったような観念(かんねん)も生まれてきません。どんな仕事もみんな(とうと)い仕事なのです。みんなでみんなを支え合い、よりいっそう本質の輝く世界を実現しようと努めているのです。すべてのものがすべてのものと緊密(きんみつ)に関わり合っている真実世界にはもともと上下貴賤(じょうげきせん)といった差別(さべつ)は存在していないのですから。本質の輝いている世界では、一人の幸せがみんなの幸せになり、ひとりの不幸がみんなの不幸になり、ひとりの悩みがみんなの悩みになり、一人の病がみんなの病になります。そして、みんなで喜び合い、みんなで工夫し合い、みんなで解決し合って生きていきます。そのような世界に生きている人たちの人生には後悔(こうかい)(ねん)というものがありません。みんなの命のエネルギーが正しい方向に向かって使われているからです。私たちが働くのは世界の本質が豊かに輝き、自分の本質も世界の本質と共に豊かに輝くためなのです。わたしたちは今、西暦(せいれき)時代(じだい)(らん)熟期(じゅくき)におけるように、一人一人がばらばらに、反本質的(はんほんしつてき)自滅的(じめつてき)な欲望のまにま(・・・)を、無自覚に迷走(めいそう)し続けるような放恣(ほうし)な生き方ではなく、みんなが一つの(なか)(むつ)まじい家族のようになって、大自然の限りない恵みと今自分がこの世に生かされている無上(むじょう)僥倖(ぎょうこう)とに感謝(かんしゃ)しつつ、お互いがお互いの幸せを願いながら、全一的な生を自覚的にそして自由に生きているのです。」

「なるほど、だれも固定的な立場にいなければ、社会的にどんな対立も生じようがないのですね。」

「はい。そして、そのような対立的(たいりつてき)固定的(こていてき)な立場を生み出すのは、全体との関係を見失った自己(じこ)中心的(ちゅうしんてき)物の見方なのです。そしてまた、そのような利己的で(かたよ)った物の見方を次第に調和の取れた全一的(ぜんいつてき)な物の見方に変えていく力が統合的(とうごうてき)精神(せいしん)にはあるのです。」

「なるほど。 ところで山本さん、この地区にマスターの資格(しかく)を持った人は今、何人位いらっしゃるんでしょうか。」

「マスターですか? はい、この地区にはマスターがおよそ一万人います。また、その(ほか)(じゅん)マスターといわれる人が一万五千人ほどいます。ここの現在の人口は二十万人弱ですから、マスターと準マスターを合わせた数は一割を超えます。それだけの数の人たちがそれぞれの分野で、技能だけでなく精神的にも指導的な役割を(にな)っているのです。これだけ多くのマスターや準マスターが(そろ)うのは、生涯(しょうがい)教育(きょういく)の学習環境が(ととの)っていることと、地域社会全体がお互いに自己を高め合うという自己(じこ)啓発(けいはつ)意識(いしき)が高いということによっているものと思います。このような社会環境が個人の学習意欲を後押(あとお)ししてくれるのです。」

「人は環境によって大きく左右されるものですからねえ。」

「はい、まったくその通りなのです。本人の向上(こうじょう)(しん)と社会の環境が共に(ととの)えばその成果(せいか)は眼に見えて上がってくるのです。そしていまも毎年、マスターと準マスターが千人単位で増え続けています。このままいけば五年後にはマスターと準マスターの割合が二割を()えているでしょう。」

「まったく素晴らしいことですね、感心させられます。ところで、皆さんはきっとお互いに協力し合ってよく働く人たちばかりなのだと思いますが、しかしやっぱり働くばかりでは人生楽しくありません。皆さんは余暇(よか)時間(じかん)をどのように使っていらっしゃるんでしょうか。」

「よくぞ聞いてくださいました。わたしたちは昔の人たちの誰よりも楽しく充実した余暇時間をすごしていますよ。じつは、この地区ではそろそろ年間の公務(こうむ)日数(にっすう)を200日から180日に減らそうかと計画しているのです。これまで積み重ねてきたいろいろな本質的な合理化の工夫によって、一人の年間の公務日数を減らしても地区の運営に差支(さしつか)えがなくなってきたからです。この計画が実施(じっし)されれば一人あたり年間九ヶ月の公務でよくなり、残りの三ヶ月間はこれまでよりさらに充実した余暇として利用されるようになることでしょう。そうすれば、住民はいままで以上に、自分が本当に打ち込みたいと思うことに打ち込んだり、あるいはゆっくりと世界を(めぐ)って観光を楽しみながら世界のいろいろな地区のさまざまな生活や制度や風土を見聞(みき)きして見聞(けんぶん)を広げたりすることもできます。そしてその経験がまたこの地区で働くときに地区の改善に役立つことにもなるのです。また、多くの人はさまざまな芸術的創作に(はげ)んだり、さまざまな趣味に打ち込んだり、ボランティアに励んだり、思いっきり自然に親しんだり、科学的研究や技術的発明やその改良に打ち込んだり、そのほか、さまざまなマスターになるための学習に励んだり、スポーツに汗を流したりなどと、より一層充実した余暇(よか)を過ごすことができます。このように余暇は地球社会の多くの人たちと交流したり、自分の視野を広げたり、能力や精神性を高めたりするためのまたとない機会を住民に与えているのです。それから、カラオケ喫茶や居酒屋で歌やお酒やおしゃべりを楽しんでお互いの親睦(しんぼく)を深め合う人たちも多いのです。」

「皆さんは仕事と余暇のバランスもうまくとっていらっしゃるんですね。」

「はい、すべては住民の一人一人がその本質をより豊かに、またより充実したものにできるようにと工夫(くふう)改善(かいぜん)が積み重ねられているのです。いまや、地球社会は本質至上主義に基づく本質統合社会になりましたから、すべては欲望の自由追求のためではなく、それぞれ一人一人の本質の自由展開のために統合(とうごう)管理(かんり)されているのです。そしてこのような本質統合社会であればこそ地区ごとに多くの精神的(せいしんてき)指導者(しどうしゃ)輩出(はいしゅつ)してきているのです。わたしたちは皆、人生で最も大切なことは、自分の生命活動の本質を知り、その本質を生きることにあると考えています。ですから、昔の西暦時代のように、欲望(よくぼう)()大症候群(だいしょうこうぐん)に感染したかのようにひたすら個人的な生活の利便性(りべんせい)快適性(かいてきせい)を求め、享楽的(きょうらくてき)な人生を生きるというような反本質的文明はもう生まれようがないのです。」

「はあ、そうですか。まったく驚くばかりです、本当に感心させられます。」

 

この時、モニターの中のセレステさんの平均(へいきん)(りつ)第一巻(だいいっかん)演奏(えんそう)が終わりに近づきつつあった。わたしはあらためてモニターに眼を()り、耳を澄ました。やがて平均率の演奏が終わり、続いてセレステさん自身が作曲したという小品(しょうひん)の演奏に移った。その作品は『愛の祈り』と題されていた。その曲調はモーツアルト的な旋律(せんりつ)とバッハ的な旋律が交錯(こうさく)する中に、ところどころスクリャービン的な神秘的(しんぴてき)和声(わせい)が散りばめられていて、聞くものの心が静かに(なぐさ)められ暖められ浄化(じょうか)されるようなものだった。わたしは初めて耳にするセレステさんの自作自演の『愛の祈り』に深く心を動かされていた。

「妻の演奏も終わったようですね。」

「本当に素敵(すてき)な演奏でした。それに最後の、ご自分で作曲なさった作品にも(こころ)(うご)かされました。まったく、皆さんはすばらしい人たちですね。」

「いやいや、わたしたちなどまだまだですよ、これからずっと努力し続けなければなりません。」

「ところで、セレステさんの作品の題名なんですが、『愛の祈り』には何か具体的な意味はあるのでしょうか、言葉で(あらわ)せるようなテーマのようなものが。セレステさんからなにかお聞きでしょうか。」

「わたくし一度そのことについて母の口から聞いたことがありますわ。母の話では、愛の祈りというのは、PLEROMA(プレロマ)と一つになりたいという願いを歌ったものだということです。PLEROMAというのは先ほども『無のかなたへの祈り』と名づけられた小品(しょうひん)の説明のところでお話したように、この世の一切万象の(みなもと)である完全(かんぜん)統合場(とうごうば)ないしはその状態のことなのですが、そのPLEROMAではすべてのものが一体であり、そこにはいかなる対立もありません。ところで、愛は一つになろうとするはたらきであり、また、常に変わることなく一つであり続けようとする願いでもあるです。つまり、あらゆる対立や差別を超えて一つになろうとする()むに已まれぬ永遠のいのちの(うなが)しなのです。ということは、すべてのものが完全に一つに統合されたPLEROMAは愛そのものの充満(じゅうまん)の場ということになります。つまり、PLEROMAはこの世の本質の充満であり、最高(さいこう)()の精神の充満であり、そして一体化(いったいか)しようとする愛そのものの充満でもあるのです。そしてそのようなPLEROMAは結局のところ正義(善)の充満でもあります。つまり、本質も精神(智慧)も愛も正義(善)もすべてはPLEROMAにおいては一つなのです。そのようなPLEROMAとの一体化を夢見る心の(せつ)なる祈りをピアノを通して表してみたかったのだということなのです。たぶん母の気持ちの中では、愛はこの世界の本質であり智慧であり正義(善)でもあるという確信があり、その愛に代表させてこの世の真実を生きていきたいという願いが込められているのだと思います。わたくしこれはとっても母らしい考え方だと思いますわ。結局、愛はまったく対立のない理想的な社会を実現していくための原動力(げんどうりょく)なのですから、その愛を生きることを通して理想的な家庭を作り、理想的な地域社会を作り、理想的な地球社会を作っていきたいという祈りを込めているのでしょう。」

「いやあ、これはわたしにとっては初耳(はつみみ)です。美沙、お母さんはわたしにはこれまで一度もそんな話をしてくれなかったよ。」

「お父さん、まあそんなに()ねないでね。この話を聞いたのは、わたしがお母さんにピアノのレッスンを受けているときだったのよ。そのレッスンの流れの中でお母さんがなんとなく話してくれたことなの。ひょっとして、お母さん自身この話をしたことなど今は忘れているかもしれないわ。」

「まあ、わたしはピアノも()けないし、音楽のこともあまりよく分からないから、それでお母さん話してくれなかったんだね、きっと。だけど、あの曲にそんなテーマがあったとはね。これからあの曲を()くときはきっとこれまでとは違った(ふう)に聞こえてくるだろうな。しかし、お母さんもなかなか()るね、見直(みなお)したよ。」

「お母さんもうそろそろ帰ってくるかな。理沙、ほんとにお腹()いちゃった。」

「あらもうこんな時間、理沙のお腹が()くのも無理ないわ。そろそろ、食事の支度(したく)に取り掛かりましょう、お母さんももうすぐ帰ってくるはずだから。」

「そうしましょう、お姉ちゃん。理沙も手伝うから。」

二人はさっそく台所へ入っていった。

 

わたしは続けて山本さんに(たず)ねた。

「山本さん、先ほど聞くのを忘れてしまったのですが、男女間に、それから職業間に賃金の格差(かくさ)はないのでしょうか。たとえば、マスターとそうでない人との間や、妻帯者(さいたいしゃ)独身者(どくしんしゃ)との間や、それから清掃員(せいそういん)管理的(かんりてき)職業(しょくぎょう)の人との間などに賃金の差別はないのでしょうか?」

「まったくありません。三十人委員会の委員と女性の清掃員との間にも、大工さんや庭師さんなどのマスターと若いウエートレスさんとの間にも賃金(ちんぎん)格差(かくさ)はまったく無いのです、みな一律(いちりつ)に20,000ロータス支給されるのです。」

「そうですか、うーん、驚きました。本当に驚きました。」

「わたしたちは物質的にいかなる不公平も認めていないのです。わたしたちはみな、生活するに十分な賃金を受け取っていながらそれ以上を望み、それ以上を浪費(ろうひ)したがる人間を精神的に未成熟(みせいじゅく)な人間として(さげす)んでいるので、賃金の多寡(たか)でもめたりすることもないのです。また、それぞれの仕事や立場(たちば)が毎月、毎年、変わるのですから賃金格差そのものがその意味を失ってしまうのです。職業ごとに、また、立場ごとに賃金を設定(せってい)すればなおさらややこしいことになって地域社会は混乱するばかりですからね。」

 

 

 

次のページへ/