「山本さん、もっと公務について詳しく教えていただきたいのですが、今はどのような仕事があるのでしょうか。」
「はい、衣食住に関するあらゆる仕事の他、医療や社会福祉や老人介護、それから教育や通信、林業や環境保護などの仕事、そしてそれらの仕事が円滑に行われているかどうかなどをチェックする管理的な仕事もあります。
より具体的には、たとえば衣料に関しては、新しい生地や服地を生産したり、さまざまな既製品をデザインしたり、それを作ったり、またあらゆる世代間で順送りに使われる多くのリサイクル品の管理業務などがあります。
食料に関しては、米や野菜や豆類、それから粟や稗などの雑穀を作る農作業に関わるあらゆる仕事のほか、漁業や畜産、養鶏の仕事、それから豆腐やコンニャクや果物やパンや菓子やその他漬物やジャムなどのさまざまな食品を作ったり、それらを貯蔵管理したり搬出したりという仕事などもあります。
また、住宅に関しては、新築や改築、内装工事、修理、設計、取り壊し、建築資材のリサイクル、廃材処理などに関する多くの仕事があります。
また、医療に関しては、あらゆる予防的管理や治療・看護のほか、病理や医薬品開発などの基礎研究などの仕事があります。社会福祉や老人看護についていえば、さまざまな障害を持つにいたった人々の日常的なケアや自立支援、障害者に気配りの行き届いた生活環境の整備や地域社会のサポート体制の確立とその改善にかかわる仕事などがあります。
それから、通信に関しては、通信施設の維持管理、地区内のニュース報道や世界中の多岐にわたる情報の整理・分析など、また、教育に関しては教科別の授業のほか、学校の事務的管理業務や校舎の営繕的な仕事など、それから学校と地域社会との連携業務、教科内容の研究改善などの仕事もあります。
そのほか、林業では、植林、伐採、間伐などの山林の管理作業など、また、環境に関しては、公園や市街地や公共施設などの樹木の剪定と整姿や日常的な清掃などを含んだ維持管理作業のほか、土壌や水や空気の汚染防止や汚染除去などの仕事があり、そのほか、漁業や交通・運輸、また、鳥や獣たちのサンクチュアリとなっている自然保護区などの監視の仕事などもあります。
また、食料に関して付け加えれば、農業用水路の管理や、畑の散水管理などの仕事のほか、食品添加物の検査なども含まれます。それから、あらゆる仕事に関する進行の管理やその内容評価の仕事もあります。ただし、進行管理や内容評価の仕事に就くには、四十歳以上でそれぞれの仕事に習熟している人かマスターの資格を持っている人でなければなりません。
このほか、運動施設や娯楽施設などの維持管理や飲食店の運営など数多くの職種があります。このようなさまざまな仕事のリストがテレポーターによって住民に伝えられ、住民は十一月中に来年度の自分の希望の職種と時期をテレポーターで申請します。それを十二月中旬までに地区全体で再調整して、その月の二十日に翌年の仕事のスケジュールが確定することになっています。
ここで、また繰り返しになりますが、わたしたちは争いや不幸を招く原因そのものをその根っこのところから取り除くことによって、理想的な社会を築き上げようとしているのです。争いや不幸の原因となるいろいろな形の不平等や不均衡、また、職業や立場の違いなどのほか、思想なども含めたあらゆるものごとの固定化によって生じる、さまざまな形の『対立軸』が生まれないような、真に公平で平等な社会システムを作り出す工夫によってです。わたしたちは社会的にあらゆるものを淀みなく流動させることによって、固定的な対立軸のまったく無い世界、すなわち、国家と国家いう対立軸も無ければ、支配者と被支配者という対立軸も無く、人種と人種、民族と民族という対立軸もなく、資本家と労働者という対立軸も無く、生産者と消費者という対立軸も無く、宗教と宗教という対立軸もない、すべてが一つに融けあって滑らかに流動するような地球社会を実現したいと思っています。そしてこのような固定的対立軸のない社会では住民の間に職業の貴賤といったような観念も生まれてきません。どんな仕事もみんな尊い仕事なのです。みんなでみんなを支え合い、よりいっそう本質の輝く世界を実現しようと努めているのです。すべてのものがすべてのものと緊密に関わり合っている真実世界にはもともと上下貴賤といった差別は存在していないのですから。本質の輝いている世界では、一人の幸せがみんなの幸せになり、ひとりの不幸がみんなの不幸になり、ひとりの悩みがみんなの悩みになり、一人の病がみんなの病になります。そして、みんなで喜び合い、みんなで工夫し合い、みんなで解決し合って生きていきます。そのような世界に生きている人たちの人生には後悔の念というものがありません。みんなの命のエネルギーが正しい方向に向かって使われているからです。私たちが働くのは世界の本質が豊かに輝き、自分の本質も世界の本質と共に豊かに輝くためなのです。わたしたちは今、西暦時代の爛熟期におけるように、一人一人がばらばらに、反本質的で自滅的な欲望のまにまを、無自覚に迷走し続けるような放恣な生き方ではなく、みんなが一つの仲睦まじい家族のようになって、大自然の限りない恵みと今自分がこの世に生かされている無上の僥倖とに感謝しつつ、お互いがお互いの幸せを願いながら、全一的な生を自覚的にそして自由に生きているのです。」
「なるほど、だれも固定的な立場にいなければ、社会的にどんな対立も生じようがないのですね。」
「はい。そして、そのような対立的で固定的な立場を生み出すのは、全体との関係を見失った自己中心的物の見方なのです。そしてまた、そのような利己的で偏った物の見方を次第に調和の取れた全一的な物の見方に変えていく力が統合的精神にはあるのです。」
「なるほど。
ところで山本さん、この地区にマスターの資格を持った人は今、何人位いらっしゃるんでしょうか。」
「マスターですか?
はい、この地区にはマスターがおよそ一万人います。また、その他に準マスターといわれる人が一万五千人ほどいます。ここの現在の人口は二十万人弱ですから、マスターと準マスターを合わせた数は一割を超えます。それだけの数の人たちがそれぞれの分野で、技能だけでなく精神的にも指導的な役割を担っているのです。これだけ多くのマスターや準マスターが揃うのは、生涯教育の学習環境が整っていることと、地域社会全体がお互いに自己を高め合うという自己啓発意識が高いということによっているものと思います。このような社会環境が個人の学習意欲を後押ししてくれるのです。」
「人は環境によって大きく左右されるものですからねえ。」
「はい、まったくその通りなのです。本人の向上心と社会の環境が共に整えばその成果は眼に見えて上がってくるのです。そしていまも毎年、マスターと準マスターが千人単位で増え続けています。このままいけば五年後にはマスターと準マスターの割合が二割を超えているでしょう。」
「まったく素晴らしいことですね、感心させられます。ところで、皆さんはきっとお互いに協力し合ってよく働く人たちばかりなのだと思いますが、しかしやっぱり働くばかりでは人生楽しくありません。皆さんは余暇時間をどのように使っていらっしゃるんでしょうか。」
「よくぞ聞いてくださいました。わたしたちは昔の人たちの誰よりも楽しく充実した余暇時間をすごしていますよ。じつは、この地区ではそろそろ年間の公務日数を200日から180日に減らそうかと計画しているのです。これまで積み重ねてきたいろいろな本質的な合理化の工夫によって、一人の年間の公務日数を減らしても地区の運営に差支えがなくなってきたからです。この計画が実施されれば一人あたり年間九ヶ月の公務でよくなり、残りの三ヶ月間はこれまでよりさらに充実した余暇として利用されるようになることでしょう。そうすれば、住民はいままで以上に、自分が本当に打ち込みたいと思うことに打ち込んだり、あるいはゆっくりと世界を巡って観光を楽しみながら世界のいろいろな地区のさまざまな生活や制度や風土を見聞きして見聞を広げたりすることもできます。そしてその経験がまたこの地区で働くときに地区の改善に役立つことにもなるのです。また、多くの人はさまざまな芸術的創作に励んだり、さまざまな趣味に打ち込んだり、ボランティアに励んだり、思いっきり自然に親しんだり、科学的研究や技術的発明やその改良に打ち込んだり、そのほか、さまざまなマスターになるための学習に励んだり、スポーツに汗を流したりなどと、より一層充実した余暇を過ごすことができます。このように余暇は地球社会の多くの人たちと交流したり、自分の視野を広げたり、能力や精神性を高めたりするためのまたとない機会を住民に与えているのです。それから、カラオケ喫茶や居酒屋で歌やお酒やおしゃべりを楽しんでお互いの親睦を深め合う人たちも多いのです。」
「皆さんは仕事と余暇のバランスもうまくとっていらっしゃるんですね。」
「はい、すべては住民の一人一人がその本質をより豊かに、またより充実したものにできるようにと工夫改善が積み重ねられているのです。いまや、地球社会は本質至上主義に基づく本質統合社会になりましたから、すべては欲望の自由追求のためではなく、それぞれ一人一人の本質の自由展開のために統合管理されているのです。そしてこのような本質統合社会であればこそ地区ごとに多くの精神的指導者も輩出してきているのです。わたしたちは皆、人生で最も大切なことは、自分の生命活動の本質を知り、その本質を生きることにあると考えています。ですから、昔の西暦時代のように、欲望肥大症候群に感染したかのようにひたすら個人的な生活の利便性や快適性を求め、享楽的な人生を生きるというような反本質的文明はもう生まれようがないのです。」
「はあ、そうですか。まったく驚くばかりです、本当に感心させられます。」
この時、モニターの中のセレステさんの平均律第一巻の演奏が終わりに近づきつつあった。わたしはあらためてモニターに眼を遣り、耳を澄ました。やがて平均率の演奏が終わり、続いてセレステさん自身が作曲したという小品の演奏に移った。その作品は『愛の祈り』と題されていた。その曲調はモーツアルト的な旋律とバッハ的な旋律が交錯する中に、ところどころスクリャービン的な神秘的和声が散りばめられていて、聞くものの心が静かに慰められ暖められ浄化されるようなものだった。わたしは初めて耳にするセレステさんの自作自演の『愛の祈り』に深く心を動かされていた。
「妻の演奏も終わったようですね。」
「本当に素敵な演奏でした。それに最後の、ご自分で作曲なさった作品にも心動かされました。まったく、皆さんはすばらしい人たちですね。」
「いやいや、わたしたちなどまだまだですよ、これからずっと努力し続けなければなりません。」
「ところで、セレステさんの作品の題名なんですが、『愛の祈り』には何か具体的な意味はあるのでしょうか、言葉で表せるようなテーマのようなものが。セレステさんからなにかお聞きでしょうか。」
「わたくし一度そのことについて母の口から聞いたことがありますわ。母の話では、愛の祈りというのは、PLEROMAと一つになりたいという願いを歌ったものだということです。PLEROMAというのは先ほども『無のかなたへの祈り』と名づけられた小品の説明のところでお話したように、この世の一切万象の源である完全統合場ないしはその状態のことなのですが、そのPLEROMAではすべてのものが一体であり、そこにはいかなる対立もありません。ところで、愛は一つになろうとするはたらきであり、また、常に変わることなく一つであり続けようとする願いでもあるです。つまり、あらゆる対立や差別を超えて一つになろうとする已むに已まれぬ永遠のいのちの促しなのです。ということは、すべてのものが完全に一つに統合されたPLEROMAは愛そのものの充満の場ということになります。つまり、PLEROMAはこの世の本質の充満であり、最高次の精神の充満であり、そして一体化しようとする愛そのものの充満でもあるのです。そしてそのようなPLEROMAは結局のところ正義(善)の充満でもあります。つまり、本質も精神(智慧)も愛も正義(善)もすべてはPLEROMAにおいては一つなのです。そのようなPLEROMAとの一体化を夢見る心の切なる祈りをピアノを通して表してみたかったのだということなのです。たぶん母の気持ちの中では、愛はこの世界の本質であり智慧であり正義(善)でもあるという確信があり、その愛に代表させてこの世の真実を生きていきたいという願いが込められているのだと思います。わたくしこれはとっても母らしい考え方だと思いますわ。結局、愛はまったく対立のない理想的な社会を実現していくための原動力なのですから、その愛を生きることを通して理想的な家庭を作り、理想的な地域社会を作り、理想的な地球社会を作っていきたいという祈りを込めているのでしょう。」
「いやあ、これはわたしにとっては初耳です。美沙、お母さんはわたしにはこれまで一度もそんな話をしてくれなかったよ。」
「お父さん、まあそんなに拗ねないでね。この話を聞いたのは、わたしがお母さんにピアノのレッスンを受けているときだったのよ。そのレッスンの流れの中でお母さんがなんとなく話してくれたことなの。ひょっとして、お母さん自身この話をしたことなど今は忘れているかもしれないわ。」
「まあ、わたしはピアノも弾けないし、音楽のこともあまりよく分からないから、それでお母さん話してくれなかったんだね、きっと。だけど、あの曲にそんなテーマがあったとはね。これからあの曲を聴くときはきっとこれまでとは違った風に聞こえてくるだろうな。しかし、お母さんもなかなか遣るね、見直したよ。」
「お母さんもうそろそろ帰ってくるかな。理沙、ほんとにお腹空いちゃった。」
「あらもうこんな時間、理沙のお腹が空くのも無理ないわ。そろそろ、食事の支度に取り掛かりましょう、お母さんももうすぐ帰ってくるはずだから。」
「そうしましょう、お姉ちゃん。理沙も手伝うから。」
二人はさっそく台所へ入っていった。
わたしは続けて山本さんに尋ねた。
「山本さん、先ほど聞くのを忘れてしまったのですが、男女間に、それから職業間に賃金の格差はないのでしょうか。たとえば、マスターとそうでない人との間や、妻帯者と独身者との間や、それから清掃員と管理的職業の人との間などに賃金の差別はないのでしょうか?」
「まったくありません。三十人委員会の委員と女性の清掃員との間にも、大工さんや庭師さんなどのマスターと若いウエートレスさんとの間にも賃金格差はまったく無いのです、みな一律に20,000ロータス支給されるのです。」
「そうですか、うーん、驚きました。本当に驚きました。」
「わたしたちは物質的にいかなる不公平も認めていないのです。わたしたちはみな、生活するに十分な賃金を受け取っていながらそれ以上を望み、それ以上を浪費したがる人間を精神的に未成熟な人間として蔑んでいるので、賃金の多寡でもめたりすることもないのです。また、それぞれの仕事や立場が毎月、毎年、変わるのですから賃金格差そのものがその意味を失ってしまうのです。職業ごとに、また、立場ごとに賃金を設定すればなおさらややこしいことになって地域社会は混乱するばかりですからね。」