LOTUS 200-11

 

 

 

「山本さん、理想世界にもっとも必要なことは何だとお考えですか?」

「そうですね、理想(りそう)世界(せかい)建設(けんせつ)に必要なことは、住民一人一人の精神性(せいしんせい)の向上と、社会システムの完全化だと思います。これらの目標(もくひょう)は永遠に続いていく目標です。その追求に終わりというものがありません。それは、まさにその向いている方向が正反対なのですが、人間の欲望の追求に終わりがないのと同じことなのです。そして、欲望の追求が世界の本質を(けが)しその破壊(はかい)へと向かうのに対して、これらの追求は世界の本質を無限に豊かにしていきます。」

「人々の精神性の向上と社会システムの完全化ですか?」

「はい。精神的向上についていえば、住民の一人一人が、単なる感覚的、感情的、知性的人間であることを止めて、感覚や感情、それから知性的な思考(しこう)枠組(わくぐ)みを限界付(げんかいづ)けているその自己中心的な(から)を打ち破って、自らを無限の全一的精神世界へと開放し、いつしか大自然と同化し、ついには永遠そのものと一体化してしまうことです。精神的でない人間は成熟(せいじゅく)した一人前の人間とはいえないとわたしたちは考えます。感覚的(かんかくてき)感情的(かんじょうてき)知性的(ちせいてき)であるに過ぎない人間はいつまでも自己(じこ)中心的(ちゅうしんてき)世界(せかい)埋没(まいぼつ)していて、まだ全一的な世界に住む一人前の大人になっていないと考えているのです。全一(ぜんいつ)統合的(とうごうてき)な精神性に目覚めてこそ人は真に人間となるのです。」

「なかなか(きび)しい基準(きじゅん)ですね。」

「はい、なかなか厳しいです。しかし、これは当時、人類がこの地球上で生き延びていくためには()けて通ることのできない、クリアすべき基準(きじゅん)でした。20世紀から21世紀にかけて、生きとし生けるものの生の(いとな)みの基盤である自然界の健康が犯され、地球上の生態系がいたるところで、ほとんど修復(しゅうふく)不可能(ふかのう)になるほどの危ない状況に立ち至ってしまった以上、いつまでも身勝手で未熟な人間たちが、その欲望を際限(さいげん)も無く自由に追求するような社会システムを続けていくゆとりがなくなったのです。そのような自然環境の危機的(ききてき)状況(じょうきょう)から抜け出すためには、人間一人一人の心構えと地球社会全体のシステムやルールを変えていくしかなくなったのです。そういう訳で、これは人類が生き延びるための最低線の基準となりました。そしてこれが守れなくなったときは人類が滅びるときです、それも、地球上の罪のない多くの生物(せいぶつ)(しゅ)を道連れにして...。」

「分かりました。それは、人類にとって、言ってみれば切羽詰(せっぱつま)った決断だったんですね。」

「その通りなのです。」

「今あるこの世界も、いわばこうなるべくしてなったのですね。それ以外に進むべき道がなくなってこのように変わってきたという訳なのですね。 なるほど。 ...ところで、美沙さん、美沙さんは大学でフィールドワークや本質理解の授業のほかに、歴史を学んでいらっしゃるそうですね。その歴史は今どんな内容のものになっているんでしょうか。昔と何か変わった点はあるんでしょうか。」

「はい、歴史ほど変わったものはないくらいに変わってしまいました。西暦時代の歴史は、西洋を中心として書かれていたのですが、今はまったく違います。視座(しざ)が大きく移動したのです。今は、永遠本質的視座に立って歴史が語られます。昔は西洋にとって都合のいい価値観にしたがって歴史が築き上げられていたのですが、現在では、できる限り公平な、永遠本質的な全一的(ぜんいつてき)視座(しざ)に立って、世界史が書き換えられています。その結果、歴史の中の反本質的な勢力や行為が徹底的(てっていてき)に批判されるようになりました。そして、かつては歴史書の中心をなしていた、力に頼り物と金をむさぼる利己的(りこてき)支配(しはい)階層(かいそう)による巧妙(こうみょう)策謀的(さくぼうてき)行為が、今は愚かしい行為の典型(てんけい)として歴史書の片隅(かたすみ)記述(きじゅつ)され、一方、地球社会の本質的価値を守り続けようと努力し続けてきた人々や民族の、その生活や思想などが歴史の本流(ほんりゅう)として大きく取り扱われるようになりました。たとえば、アレキサンダー大王やチンギスハン、中国の歴代(れきだい)帝王(ていおう)たちや日本の武将(ぶしょう)たち、そのほかあらゆる武力(ぶりょく)支配(しはい)による英雄たちは反本質的(はんほんしつてき)人間(にんげん)典型(てんけい)として、いわば人類史における反本質的時代に生きた、まだ色濃(いろこ)くその獣性(じゅうせい)を引きずったボス(ざる)かなにかのような取り扱いで簡単に記述(きじゅつ)され、そのほか、ローマ帝国の独裁者たちや産業革命以後の軍国(ぐんこく)主義的(しゅぎてき)独裁者(どくさいしゃ)なども地球生命系の歴史の中の永遠の恥やわざわいとして取り扱われています。また、あらゆる本質を利潤追求の手段にしてしまった資本主義社会の推進者たち、自然を破壊し、人間を手段化し、あらゆるメディアを汚しながら人間の愚かさを大量再生産してきた資本主義経済システム、そしてそのシステムに乗っかって、外交、軍産(ぐんさん)(ふく)合体(ごうたい)、大企業や多国籍企業などが渾然(こんぜん)一体となって世界を蹂躙(じゅうりん)していく帝国主義的な経済的国家エゴも人類史上最悪の反本質的活動として断罪(だんざい)されています。人種的にはアングロ=サクソンを中心としたヨーロッパ人種が最も反本質的、反精神的な文明を生み出した人種として批判されています。すなわち、近代西洋文明が、最も反本質的な文明として、すなわち大自然の本質的(ほんしつてき)全一(ぜんいつ)バランスを(くず)し、本質的(ほんしつてき)清浄性(しょうじょうせい)を汚し、人類および地球生命系に最も被害を与えた(のろ)うべき文明として批判されているのです。永遠の眼に近代西洋文明は本当に()むべきものと(うつ)ってしまうのです。もちろん、自由平等思想と科学技術を生み出したことは、それが欲望にさえ奉仕(ほうし)していなければすばらしい貢献(こうけん)ともなりえたことは認めた上でのことなのですが...。しかし、その功罪(こうざい)比較(ひかく)してみれば、罪のほうが圧倒的に大きいのです。人類と地球生命系をほとんど絶滅の危機に追いやり、数え切れないほどの反本質的な不幸と対立とアンバランスを地球上に引き起こしてきたのですから。そして今もなお、その後遺症(こういしょう)が世界中いたるところで見受けられるのですから。いっぽう、そんな西洋的な反自然的、反本質的文明に(しいた)げられてきた民族や個人の中に、今の本質的文明につながる真に人間的なすばらしい精神活動があるのです。それらの全一的本質に深く根ざした細い一すじの流れが、今のわたくしたちの歴史の中心的(ちゅうしんてき)研究(けんきゅう)対象(たいしょう)となっているのです。たとえば、日本で言えば(じょう)文人(もんじん)やアイヌ民族、それから日本以外ではイヌイットやネイティブ・アメリカンや中南米(ちゅうなんべい)のインディオの人々、それからオーストラリア原住民(げんじゅうみん)のアボリジニなどです。また、個人的には、その時代時代において、その後継者(こうけいしゃ)たちがどのようにそれを展開(てんかい)していったかには関係なく、本質的な立場から社会の支配層(しはいそう)や社会制度を批判したり新しい社会のあるべき姿を提唱(ていしょう)したりした人々、たとえば、ソクラテスやプラトン、キリストや仏陀、老子や荘子、アウグスチヌスやトマス=モア、安藤(あんどう)昌益(しょうえき)田中(たなか)正造(しょうぞう)、ウイリアム=モリスやジョン=ラスキン、河上(かわかみ)(はじめ)や宮沢賢治、ガンジーやキング牧師、そのほか多くの名も無き人たちです。それぞれの時代において、反本質的な人間によって支配されていた社会制度や世界(せかい)(かん)を批判し、より本質的な平等社会を目指しながらその生涯(しょうがい)を終えた人々の心の祈りを歴史的にたどり直すことによって、わたくしたちの社会システムをより強くより豊かなものにしようとしているのです。」

「それでは歴史観もほとんど180度変わってしまったという訳なのですね。」

「はい、そうなのです。」 

「小山さん、わたしたちは今、過去数千年から一万年にわたる反本質的な人類史を振り返って、その(おろ)かしさをはっきりと認識(にんしき)することを通して、真に本質的な、本来あるべき理想世界の構築(こうちく)を自覚的により堅固(けんご)なものにしようと努力しているのです。わたしたちの考えでは、主に過去数千年の人類史は、全一的調和状態を保ち続ける大自然の法から逸脱(いつだつ)してしまった、欲望の肥大した、いわば心の病人となった人類によって築き上げられたものであり、そのような文明は、その病が進行して人類自身の絶滅によって終止(しゅうし)()を打たれるか、さもなければ、その病から快癒(かいゆ)して、大自然(だいしぜん)本来(ほんらい)全一(ぜんいつ)調和的(ちょうわてき)文明(ぶんめい)を築き上げることによって乗り越えられるか、二つに一つの道以外に選択肢(せんたくし)の無いものだったのです。そして、今わたしたちは(うん)()く後のほうの道を選ぶことができて人間本来の健康な世界を楽しむことができるようになったというわけなのです。」

「なるほど、人類はこれまで欲望の肥大(ひだい)という慢性(まんせい)疾患(しっかん)長患(ながわずら)いに苦しんでいたのですか。そして今ようやくその長患(ながわずら)いから解放されて本来の健康状態を取り戻しつつあるのですね。」

「はい、(おっしゃ)るとおりなのです。」

「それでは、昔の歴史は最も重い心の病に(かか)った支配(しはい)階層(かいそう)を中心として築き上げられた人類の長い病歴(びょうれき)のようなものだったのですね。その中に出てくる重要(じゅうよう)人物(じんぶつ)たちはみんなとくに重い病人たちだったというわけなのですね。」

「はい、そういえるでしょうね。」

「まったく、思いもよらないことです、歴史上の多くの英雄たちや名のある人物たちが、本質的に見て精神的(せいしんてき)重病人(じゅうびょうにん)患者(かんじゃ)だったとは。」

「はい、まったく評価(ひょうか)逆転(ぎゃくてん)してしまったのです。ということは、それまでの歴史がどれほど本質から遠く逸脱(いつだつ)したものであったかということを示してもいるのです。本質的に見て心の健康な人々や民族が、そうでない非本質的人間や民族によって抑圧(よくあつ)され、(はずかし)められ、苦しめられて命すら(うば)われてきたのです。しかし、それも今は正当に評価され、その失われた名誉(めいよ)も回復されました。」

「それは何よりでした。そしてもう二度と人類が欲望の肥大という心の慢性(まんせい)疾患(しっかん)(かか)らないようにしなければなりませんね。さもなければまた意味なく自然が破壊され、地球の生き物たちの多くが絶滅(ぜつめつ)し、人類の多くが意味のない苦難(くなん)の道を歩まねばならなくなりますからね。」

「まったくそのとおりです。二度とこのような愚かな病に(かか)ってはなりません。いつまでも、人間として(つつし)みも節度(せつど)もある、本質的な全一調和の道を、みんなで歩いていかなければなりません。」

「小山さん、昔の人たちってみんな重い心の病気にかかっていて大変だったのね。ほんとに可哀想(かわいそう)な人たち...。」

「うん、ほんとにそうだね、理沙ちゃん。昔の人たちは本当に可哀想(かわいそう)な人たちだったんだね。一方では、先進国といわれる地域の中に、自分だけ楽しめるだけ楽しめれば後はどうなろうとかまわないというような身勝手な生き方をする心の病人が多くいるかと思えば、その影には反本質的社会システムの犠牲(ぎせい)となって、それよりもはるかに多くの、幼くして命を失ったり、極貧(ごくひん)の生活にあえぎながらようやく生きながらえているような人々がいたりするような社会がいつまでも続いていたんだね。」

「ほんとに昔の人って馬鹿ねえ、信じられない。みんなが幸せになれる社会が作れるのにそれをしないなんて、サイテー...。」

「いやあ、理沙ちゃん、お恥ずかしい。」

「あっ、小山さんのことじゃないのよ。小山さんはいい人だもの。」

「恐れ入ります、理沙ちゃん。 ...だけど、ほんとに愚かだったんですね、(もの)金力(かねちから)による自己中心的欲望のピラミッド社会を作り出した昔の人たちは。社会を自分に都合よく支配したり操作(そうさ)したりするような(おろ)かな人間による不公平な階層(かいそう)社会(しゃかい)ではなく、真の精神的リーダーによる公平で平等な社会をこそ作るべきだったのに。利己的な欲望追求の道ではなく、本質的な全一調和の道をこそみんなで歩いていくべきだったのに。」

「ええ、ほんとにそうですわ、小山さん。でも、人間って、この地球生命系の中で初めて高等な意識を持った生き物でしょう。ですから、その意識もほかの生物と比較(ひかく)して高等とはいっても、まだまだ未熟で多くの愚かな間違いを犯すのも無理はないのかも知れませんね。きっと、人類の後に生まれてくる新しい高等生物たちはもっと精神的に成熟(せいじゅく)しているのではないかしら。でも今は、わたくしたち人間は、まだ十分に発達しきっていないこの未熟(みじゅく)な意識で、できるだけがんばっていくしかないのですわ。それでも、人類ってまだまだ捨てたものでもないと思いますわ、今はこれだけの社会を作り上げてきたのですから。」

「なるほど、そのように考えてみればそうですね。何と言っても、今はこんなにすばらしい世界が実現しているのですからね。」

「ええ、本当に...。」

 

わたしは、そのように答える美沙さんの顔を見ているうちにふと、美沙さんがどこか仲間由紀恵と松嶋菜々子に似ているように思えてきた。なぜこのまったく雰囲気(ふんいき)の違う二人の女優に似ていると思ったのかは、自分でも分からなかったがなんとなくそのように感じたのだった。たぶん、美沙さんの顔の部分部分がそれぞれ仲間由紀恵や松嶋菜々子に似ていたのだろうと思う。あるいは、それはその声の質やどこと無い雰囲気(ふんいき)のせいだったのかもしれない。わたしは、そう感じながら改めて美沙さんの顔を(なが)めていた。

 

「ああ、そうだわ、小山さん、どなたか同じ時代の人で尊敬(そんけい)する方っていらっしゃいますか、。」

「尊敬してる人ですか? そうですね、マザー テレサやレイチェル=カーソンや...、などでしょうか。」

「その人たちは今も歴史的に高く評価されていますわ。女性のほかに男性で尊敬する人はいませんか。」

「男性ですか。男性ねえ、ああ、そうだ、ラルフ=ネイダーやスリランカのサルボダヤ運動を(ひき)いていらっしゃるアリヤラドネさんなんかも尊敬しています。」

「そうですか、その二人も今高く評価されている人たちです。小山さんはやはりとっても本質的な感性(かんせい)を持っていらっしゃいますわ。素敵(すてき)なことですわ。」

「いやあ、それほどでもありませんよ。」 わたしは(うれ)しくなって例のように()(かく)しに頭に手を()っていた。

「ああ、それから今思い出しましたが、作家のサン・テクジュペリや『スモール イズ  ビューティフル』を書いたシューマッハーや南アフリカの活動家だったスティーヴ=ビコなんかも尊敬しています。」 わたしはさらに調子に乗って思いつく名前を次々と()げていった。

「その人たちだって、やっぱり高く評価されていますよ、小山さん。」

「小山さんて、やっぱりすごいのね、理沙、感心しちゃった!」

「いやあ、理沙ちゃんまで...。」 わたしは自分の顔が赤くなるのを感じた。そしてまた、この世界では自分が子供のように素直(すなお)になっているのに気付いてもいた。そして、このときまた、この地区に引っ越してきたいという思いが強くなり、こちらで生活する時のためにこの地区の労働(ろうどう)環境(かんきょう)をもっと(くわ)しく知りたいと思って聞いた。

「山本さん、こちらの労働、あるいはこちらでは公務(こうむ)と呼ばれているらしいですが、公務のことについてもっと詳しく教えていただけませんか。何かルールのようなものとか、注意することとか。もし、こちらに引っ越してくるようなことになれば知っておかなければなりませんから。」

「よろしいですとも。こちらでは、毎年十一月一日に翌年一年間の公務(こうむ)予定表(よていひょう)が発表されます。公務の内容や必要(ひつよう)人員(じんいん)や期間などです。その予定表を見て、住民は200日分の公務の申請(しんせい)をいたします。月の就労(しゅうろう)日数(にっすう)は二十日ですから、十か月分の就労(しゅうろう)申請(しんせい)をテレポーターで十一月末日(まつじつ)までに行うんです。そのとき注意しなければならないのは、一つの職種について一ヶ月から六ヶ月の期間で申請(しんせい)しなければならないということです。一つの職種を一年間通して申請することはできません。ですから、一年で多い人は十種類の職種(しょくしゅ)に、少ない人で二種類の職種に()くことになります。何かのマスターになっている人でも、年間最低一ヶ月から二ヶ月間は自分の専門以外の職種に就かなければなりません。それも毎年違った職種で無ければなりません。これはほかの仕事にも就くことによって専門(せんもん)馬鹿(ばか)になることを防ぐためなのです。ですから、うちの美沙も、地区改善員になったとしても毎年一種類か二種類のほかの仕事に()かなければならないのです。これはその人の視野(しや)実践(じっせん)を通して広めるのに役立ちます。このように多くの職種に就かせるのは労働を通して上下関係の無い公平・平等を確立(かくりつ)するためでもあるのです。このことは、行政(ぎょうせい)についても適用(てきよう)されています。つまり、三十人委員会の委員の任期(にんき)は二年と決まっていてそれ以上続けることはできないようになっています。そのほかの委員、たとえば水質管理委員や土壌(どじょう)管理(かんり)委員なども二年ごとに変わりますし、一度なった人は二度となることはありません。全てが公平平等に行われます。このことは、住民が等しく地区の管理に参加していく上で非常に効果があるのです。一人一人がさまざまな観点(かんてん)から地区の運営を評価することができ、またお互いがお互いを理解することも可能になりますから。」

「なるほど、よく考えられていますね。しかし、男女で仕事上の役割(やくわり)分担(ぶんたん)などは無いのでしょうか。」

「いえ、まったくありません。男女間の差別はまったくありません。あるといえば、老人や病気の人の介護(かいご)で、本人の希望があれば女性が女性の人の介護(かいご)をするというようなことはあるのですが、そのような特別の場合を除いて男女間の職業上の差別は一切無いのです。それから、育児(いくじ)なども、女性が男性に代わってもらうこともできるのです。まだ幼い子供を持っている夫婦の場合など、妻の公務の免除(めんじょ)(つき)単位(たんい)あるいは年単位で夫が代行(だいこう)することも自由にできるのです。」

「へえー、そうなのですか。」

「このように、普通の仕事でも、あるいは管理的な仕事においても、さらには夫婦間においてすら、誰かが何らかの立場や職種などで個人的に固定化することを()流動的(りゅうどうてき)にしているのは、固定化することによって上に立って管理する立場に立つ人たちが、その流れの止まった(よど)んだ地位で利己的に腐敗(ふはい)することを未然(みぜん)に防ぐためなのです。そして実際にその効果があるのです。また、固定化することによって必然的に生じてくるアンバランスな対立軸(たいりつじく)を生まないためでもあるのです。昔の社会システムでは、あらゆる形の組織において、固定化することによって生まれた階級間(かいきゅうかん)や立場の違いからさまざまな損得(そんとく)(かたよ)りが生じ、その不公平感(ふこうへいかん)からしばしば対立関係が(しょう)じて争いが起こったり、あるいはそれぞれの組織や社会的階級の上に立つ人間が精神的に腐敗(ふはい)して、汚職(おしょく)に走ったり(おおやけ)の財産を私物化(しぶつか)したりしたような例が数限りなくありましたからねえ。」

「いやあ、まったく、絶対(ぜったい)(くん)主制(しゅせい)や軍国主義や共産主義にいたるまでの独裁(どくさい)国家(こっか)から、資本主義から社会主義にいたるまでの民主主義国家まで、(かん)(みん)を問わず、また組織の大小を問わず、いえ、家庭内においてすらも、その支配層(しはいそう)ないし上に立つ者による腐敗(ふはい)堕落(だらく)行為(こうい)日常(にちじょう)茶飯事(さはんじ)です。まったく、その腐敗振りは本当に眼に(あま)るものがありますよ。」

「人間というものは、よほど精神的に成熟(せいじゅく)した人でないと、組織の上に立って権力を(にぎ)ったときに腐敗(ふはい)(やす)いものなのです。それは、今でもわたしたちの心の底に(ひそ)んでいる根深(ねぶか)くてやっかいな傾向です。そのような人間の弱さをわたしたちは、どこにも(よど)みが生じない流動的(りゅうどうてき)で公平な社会システムを作ることによって未然(みぜん)(ふせ)ごうと特別の注意を払っているのです。何事(なにごと)においても予防が最も大切ですからねえ。」

「はい、まったくおっしゃる通りです。」

 

 

 

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