「山本さん、理想世界にもっとも必要なことは何だとお考えですか?」
「そうですね、理想世界建設に必要なことは、住民一人一人の精神性の向上と、社会システムの完全化だと思います。これらの目標は永遠に続いていく目標です。その追求に終わりというものがありません。それは、まさにその向いている方向が正反対なのですが、人間の欲望の追求に終わりがないのと同じことなのです。そして、欲望の追求が世界の本質を汚しその破壊へと向かうのに対して、これらの追求は世界の本質を無限に豊かにしていきます。」
「人々の精神性の向上と社会システムの完全化ですか?」
「はい。精神的向上についていえば、住民の一人一人が、単なる感覚的、感情的、知性的人間であることを止めて、感覚や感情、それから知性的な思考の枠組みを限界付けているその自己中心的な殻を打ち破って、自らを無限の全一的精神世界へと開放し、いつしか大自然と同化し、ついには永遠そのものと一体化してしまうことです。精神的でない人間は成熟した一人前の人間とはいえないとわたしたちは考えます。感覚的感情的知性的であるに過ぎない人間はいつまでも自己中心的世界に埋没していて、まだ全一的な世界に住む一人前の大人になっていないと考えているのです。全一統合的な精神性に目覚めてこそ人は真に人間となるのです。」
「なかなか厳しい基準ですね。」
「はい、なかなか厳しいです。しかし、これは当時、人類がこの地球上で生き延びていくためには避けて通ることのできない、クリアすべき基準でした。20世紀から21世紀にかけて、生きとし生けるものの生の営みの基盤である自然界の健康が犯され、地球上の生態系がいたるところで、ほとんど修復不可能になるほどの危ない状況に立ち至ってしまった以上、いつまでも身勝手で未熟な人間たちが、その欲望を際限も無く自由に追求するような社会システムを続けていくゆとりがなくなったのです。そのような自然環境の危機的状況から抜け出すためには、人間一人一人の心構えと地球社会全体のシステムやルールを変えていくしかなくなったのです。そういう訳で、これは人類が生き延びるための最低線の基準となりました。そしてこれが守れなくなったときは人類が滅びるときです、それも、地球上の罪のない多くの生物種を道連れにして...。」
「分かりました。それは、人類にとって、言ってみれば切羽詰った決断だったんですね。」
「その通りなのです。」
「今あるこの世界も、いわばこうなるべくしてなったのですね。それ以外に進むべき道がなくなってこのように変わってきたという訳なのですね。
なるほど。 ...ところで、美沙さん、美沙さんは大学でフィールドワークや本質理解の授業のほかに、歴史を学んでいらっしゃるそうですね。その歴史は今どんな内容のものになっているんでしょうか。昔と何か変わった点はあるんでしょうか。」
「はい、歴史ほど変わったものはないくらいに変わってしまいました。西暦時代の歴史は、西洋を中心として書かれていたのですが、今はまったく違います。視座が大きく移動したのです。今は、永遠本質的視座に立って歴史が語られます。昔は西洋にとって都合のいい価値観にしたがって歴史が築き上げられていたのですが、現在では、できる限り公平な、永遠本質的な全一的視座に立って、世界史が書き換えられています。その結果、歴史の中の反本質的な勢力や行為が徹底的に批判されるようになりました。そして、かつては歴史書の中心をなしていた、力に頼り物と金をむさぼる利己的な支配階層による巧妙な策謀的行為が、今は愚かしい行為の典型として歴史書の片隅に記述され、一方、地球社会の本質的価値を守り続けようと努力し続けてきた人々や民族の、その生活や思想などが歴史の本流として大きく取り扱われるようになりました。たとえば、アレキサンダー大王やチンギスハン、中国の歴代の帝王たちや日本の武将たち、そのほかあらゆる武力支配による英雄たちは反本質的人間の典型として、いわば人類史における反本質的時代に生きた、まだ色濃くその獣性を引きずったボス猿かなにかのような取り扱いで簡単に記述され、そのほか、ローマ帝国の独裁者たちや産業革命以後の軍国主義的独裁者なども地球生命系の歴史の中の永遠の恥やわざわいとして取り扱われています。また、あらゆる本質を利潤追求の手段にしてしまった資本主義社会の推進者たち、自然を破壊し、人間を手段化し、あらゆるメディアを汚しながら人間の愚かさを大量再生産してきた資本主義経済システム、そしてそのシステムに乗っかって、外交、軍産複合体、大企業や多国籍企業などが渾然一体となって世界を蹂躙していく帝国主義的な経済的国家エゴも人類史上最悪の反本質的活動として断罪されています。人種的にはアングロ=サクソンを中心としたヨーロッパ人種が最も反本質的、反精神的な文明を生み出した人種として批判されています。すなわち、近代西洋文明が、最も反本質的な文明として、すなわち大自然の本質的全一バランスを崩し、本質的清浄性を汚し、人類および地球生命系に最も被害を与えた呪うべき文明として批判されているのです。永遠の眼に近代西洋文明は本当に忌むべきものと映ってしまうのです。もちろん、自由平等思想と科学技術を生み出したことは、それが欲望にさえ奉仕していなければすばらしい貢献ともなりえたことは認めた上でのことなのですが...。しかし、その功罪を比較してみれば、罪のほうが圧倒的に大きいのです。人類と地球生命系をほとんど絶滅の危機に追いやり、数え切れないほどの反本質的な不幸と対立とアンバランスを地球上に引き起こしてきたのですから。そして今もなお、その後遺症が世界中いたるところで見受けられるのですから。いっぽう、そんな西洋的な反自然的、反本質的文明に虐げられてきた民族や個人の中に、今の本質的文明につながる真に人間的なすばらしい精神活動があるのです。それらの全一的本質に深く根ざした細い一すじの流れが、今のわたくしたちの歴史の中心的研究対象となっているのです。たとえば、日本で言えば縄文人やアイヌ民族、それから日本以外ではイヌイットやネイティブ・アメリカンや中南米のインディオの人々、それからオーストラリア原住民のアボリジニなどです。また、個人的には、その時代時代において、その後継者たちがどのようにそれを展開していったかには関係なく、本質的な立場から社会の支配層や社会制度を批判したり新しい社会のあるべき姿を提唱したりした人々、たとえば、ソクラテスやプラトン、キリストや仏陀、老子や荘子、アウグスチヌスやトマス=モア、安藤昌益や田中正造、ウイリアム=モリスやジョン=ラスキン、河上肇や宮沢賢治、ガンジーやキング牧師、そのほか多くの名も無き人たちです。それぞれの時代において、反本質的な人間によって支配されていた社会制度や世界観を批判し、より本質的な平等社会を目指しながらその生涯を終えた人々の心の祈りを歴史的にたどり直すことによって、わたくしたちの社会システムをより強くより豊かなものにしようとしているのです。」
「それでは歴史観もほとんど180度変わってしまったという訳なのですね。」
「はい、そうなのです。」
「小山さん、わたしたちは今、過去数千年から一万年にわたる反本質的な人類史を振り返って、その愚かしさをはっきりと認識することを通して、真に本質的な、本来あるべき理想世界の構築を自覚的により堅固なものにしようと努力しているのです。わたしたちの考えでは、主に過去数千年の人類史は、全一的調和状態を保ち続ける大自然の法から逸脱してしまった、欲望の肥大した、いわば心の病人となった人類によって築き上げられたものであり、そのような文明は、その病が進行して人類自身の絶滅によって終止符を打たれるか、さもなければ、その病から快癒して、大自然本来の全一調和的文明を築き上げることによって乗り越えられるか、二つに一つの道以外に選択肢の無いものだったのです。そして、今わたしたちは運良く後のほうの道を選ぶことができて人間本来の健康な世界を楽しむことができるようになったというわけなのです。」
「なるほど、人類はこれまで欲望の肥大という慢性疾患の長患いに苦しんでいたのですか。そして今ようやくその長患いから解放されて本来の健康状態を取り戻しつつあるのですね。」
「はい、仰るとおりなのです。」
「それでは、昔の歴史は最も重い心の病に罹った支配階層を中心として築き上げられた人類の長い病歴のようなものだったのですね。その中に出てくる重要人物たちはみんなとくに重い病人たちだったというわけなのですね。」
「はい、そういえるでしょうね。」
「まったく、思いもよらないことです、歴史上の多くの英雄たちや名のある人物たちが、本質的に見て精神的重病人患者だったとは。」
「はい、まったく評価が逆転してしまったのです。ということは、それまでの歴史がどれほど本質から遠く逸脱したものであったかということを示してもいるのです。本質的に見て心の健康な人々や民族が、そうでない非本質的人間や民族によって抑圧され、辱められ、苦しめられて命すら奪われてきたのです。しかし、それも今は正当に評価され、その失われた名誉も回復されました。」
「それは何よりでした。そしてもう二度と人類が欲望の肥大という心の慢性疾患に罹らないようにしなければなりませんね。さもなければまた意味なく自然が破壊され、地球の生き物たちの多くが絶滅し、人類の多くが意味のない苦難の道を歩まねばならなくなりますからね。」
「まったくそのとおりです。二度とこのような愚かな病に罹ってはなりません。いつまでも、人間として慎みも節度もある、本質的な全一調和の道を、みんなで歩いていかなければなりません。」
「小山さん、昔の人たちってみんな重い心の病気にかかっていて大変だったのね。ほんとに可哀想な人たち...。」
「うん、ほんとにそうだね、理沙ちゃん。昔の人たちは本当に可哀想な人たちだったんだね。一方では、先進国といわれる地域の中に、自分だけ楽しめるだけ楽しめれば後はどうなろうとかまわないというような身勝手な生き方をする心の病人が多くいるかと思えば、その影には反本質的社会システムの犠牲となって、それよりもはるかに多くの、幼くして命を失ったり、極貧の生活にあえぎながらようやく生きながらえているような人々がいたりするような社会がいつまでも続いていたんだね。」
「ほんとに昔の人って馬鹿ねえ、信じられない。みんなが幸せになれる社会が作れるのにそれをしないなんて、サイテー...。」
「いやあ、理沙ちゃん、お恥ずかしい。」
「あっ、小山さんのことじゃないのよ。小山さんはいい人だもの。」
「恐れ入ります、理沙ちゃん。 ...だけど、ほんとに愚かだったんですね、物金力による自己中心的欲望のピラミッド社会を作り出した昔の人たちは。社会を自分に都合よく支配したり操作したりするような愚かな人間による不公平な階層社会ではなく、真の精神的リーダーによる公平で平等な社会をこそ作るべきだったのに。利己的な欲望追求の道ではなく、本質的な全一調和の道をこそみんなで歩いていくべきだったのに。」
「ええ、ほんとにそうですわ、小山さん。でも、人間って、この地球生命系の中で初めて高等な意識を持った生き物でしょう。ですから、その意識もほかの生物と比較して高等とはいっても、まだまだ未熟で多くの愚かな間違いを犯すのも無理はないのかも知れませんね。きっと、人類の後に生まれてくる新しい高等生物たちはもっと精神的に成熟しているのではないかしら。でも今は、わたくしたち人間は、まだ十分に発達しきっていないこの未熟な意識で、できるだけがんばっていくしかないのですわ。それでも、人類ってまだまだ捨てたものでもないと思いますわ、今はこれだけの社会を作り上げてきたのですから。」
「なるほど、そのように考えてみればそうですね。何と言っても、今はこんなにすばらしい世界が実現しているのですからね。」
「ええ、本当に...。」
わたしは、そのように答える美沙さんの顔を見ているうちにふと、美沙さんがどこか仲間由紀恵と松嶋菜々子に似ているように思えてきた。なぜこのまったく雰囲気の違う二人の女優に似ていると思ったのかは、自分でも分からなかったがなんとなくそのように感じたのだった。たぶん、美沙さんの顔の部分部分がそれぞれ仲間由紀恵や松嶋菜々子に似ていたのだろうと思う。あるいは、それはその声の質やどこと無い雰囲気のせいだったのかもしれない。わたしは、そう感じながら改めて美沙さんの顔を眺めていた。
「ああ、そうだわ、小山さん、どなたか同じ時代の人で尊敬する方っていらっしゃいますか、。」
「尊敬してる人ですか? そうですね、マザー テレサやレイチェル=カーソンや...、などでしょうか。」
「その人たちは今も歴史的に高く評価されていますわ。女性のほかに男性で尊敬する人はいませんか。」
「男性ですか。男性ねえ、ああ、そうだ、ラルフ=ネイダーやスリランカのサルボダヤ運動を率いていらっしゃるアリヤラドネさんなんかも尊敬しています。」
「そうですか、その二人も今高く評価されている人たちです。小山さんはやはりとっても本質的な感性を持っていらっしゃいますわ。素敵なことですわ。」
「いやあ、それほどでもありませんよ。」 わたしは嬉しくなって例のように照れ隠しに頭に手を遣っていた。
「ああ、それから今思い出しましたが、作家のサン・テクジュペリや『スモール イズ ビューティフル』を書いたシューマッハーや南アフリカの活動家だったスティーヴ=ビコなんかも尊敬しています。」
わたしはさらに調子に乗って思いつく名前を次々と挙げていった。
「その人たちだって、やっぱり高く評価されていますよ、小山さん。」
「小山さんて、やっぱりすごいのね、理沙、感心しちゃった!」
「いやあ、理沙ちゃんまで...。」
わたしは自分の顔が赤くなるのを感じた。そしてまた、この世界では自分が子供のように素直になっているのに気付いてもいた。そして、このときまた、この地区に引っ越してきたいという思いが強くなり、こちらで生活する時のためにこの地区の労働環境をもっと詳しく知りたいと思って聞いた。
「山本さん、こちらの労働、あるいはこちらでは公務と呼ばれているらしいですが、公務のことについてもっと詳しく教えていただけませんか。何かルールのようなものとか、注意することとか。もし、こちらに引っ越してくるようなことになれば知っておかなければなりませんから。」
「よろしいですとも。こちらでは、毎年十一月一日に翌年一年間の公務予定表が発表されます。公務の内容や必要人員や期間などです。その予定表を見て、住民は200日分の公務の申請をいたします。月の就労日数は二十日ですから、十か月分の就労申請をテレポーターで十一月末日までに行うんです。そのとき注意しなければならないのは、一つの職種について一ヶ月から六ヶ月の期間で申請しなければならないということです。一つの職種を一年間通して申請することはできません。ですから、一年で多い人は十種類の職種に、少ない人で二種類の職種に就くことになります。何かのマスターになっている人でも、年間最低一ヶ月から二ヶ月間は自分の専門以外の職種に就かなければなりません。それも毎年違った職種で無ければなりません。これはほかの仕事にも就くことによって専門馬鹿になることを防ぐためなのです。ですから、うちの美沙も、地区改善員になったとしても毎年一種類か二種類のほかの仕事に就かなければならないのです。これはその人の視野を実践を通して広めるのに役立ちます。このように多くの職種に就かせるのは労働を通して上下関係の無い公平・平等を確立するためでもあるのです。このことは、行政についても適用されています。つまり、三十人委員会の委員の任期は二年と決まっていてそれ以上続けることはできないようになっています。そのほかの委員、たとえば水質管理委員や土壌管理委員なども二年ごとに変わりますし、一度なった人は二度となることはありません。全てが公平平等に行われます。このことは、住民が等しく地区の管理に参加していく上で非常に効果があるのです。一人一人がさまざまな観点から地区の運営を評価することができ、またお互いがお互いを理解することも可能になりますから。」
「なるほど、よく考えられていますね。しかし、男女で仕事上の役割分担などは無いのでしょうか。」
「いえ、まったくありません。男女間の差別はまったくありません。あるといえば、老人や病気の人の介護で、本人の希望があれば女性が女性の人の介護をするというようなことはあるのですが、そのような特別の場合を除いて男女間の職業上の差別は一切無いのです。それから、育児なども、女性が男性に代わってもらうこともできるのです。まだ幼い子供を持っている夫婦の場合など、妻の公務の免除を月単位あるいは年単位で夫が代行することも自由にできるのです。」
「へえー、そうなのですか。」
「このように、普通の仕事でも、あるいは管理的な仕事においても、さらには夫婦間においてすら、誰かが何らかの立場や職種などで個人的に固定化することを避け流動的にしているのは、固定化することによって上に立って管理する立場に立つ人たちが、その流れの止まった澱んだ地位で利己的に腐敗することを未然に防ぐためなのです。そして実際にその効果があるのです。また、固定化することによって必然的に生じてくるアンバランスな対立軸を生まないためでもあるのです。昔の社会システムでは、あらゆる形の組織において、固定化することによって生まれた階級間や立場の違いからさまざまな損得の偏りが生じ、その不公平感からしばしば対立関係が生じて争いが起こったり、あるいはそれぞれの組織や社会的階級の上に立つ人間が精神的に腐敗して、汚職に走ったり公の財産を私物化したりしたような例が数限りなくありましたからねえ。」
「いやあ、まったく、絶対君主制や軍国主義や共産主義にいたるまでの独裁国家から、資本主義から社会主義にいたるまでの民主主義国家まで、官・民を問わず、また組織の大小を問わず、いえ、家庭内においてすらも、その支配層ないし上に立つ者による腐敗堕落行為は日常茶飯事です。まったく、その腐敗振りは本当に眼に余るものがありますよ。」
「人間というものは、よほど精神的に成熟した人でないと、組織の上に立って権力を握ったときに腐敗し易いものなのです。それは、今でもわたしたちの心の底に潜んでいる根深くてやっかいな傾向です。そのような人間の弱さをわたしたちは、どこにも澱みが生じない流動的で公平な社会システムを作ることによって未然に防ごうと特別の注意を払っているのです。何事においても予防が最も大切ですからねえ。」
「はい、まったくおっしゃる通りです。」