第一部
LOTUS 200-1
長いトンネルを抜けるとそこはもう終着駅だった。車内で知り合った山本さんの後に続いてリニア・モーター・カーを降りて驚いた。あたりに広がる景色はまるで公園のようであった。どこを探してみても駅舎のようなものは見当たらず、改札口すらもなかった。ただ、めずらしい木造りのプラットホームの先に、色とりどりに綾なす花々と木々の広がりがあるだけだった。
山本さんは呆けたように立っているわたしに気が付くと、人のよさそうな笑みを浮かべながら、さあ、小山さん、こちらですよ、と言って、あたりに乾いた靴音を響かせながら歩き始めた。その後を歩きながらわたしは足元のプラットホームをしげしげと眺めていた。それは名工の手になる、まったく手抜きのない芸術作品とすら言えるほどの造りだった。それはまた、よく手入れが行き届いていた。その時、わたしはなぜだかふと、じぶんがどこか異質な世界に紛れ込んでしまったかのような不思議な感覚に襲われた。
山本さんと共にプラットホームの階段を下り、花と木々に囲まれた広い石畳の道を左斜め方向に進んでいくと、やがて駐車場らしき所に出た。
そこには、すべての角を滑らかにした将棋の駒のような形をした乗り物が20台ばかり並んでいた。山本さんは薄手のジャケットの内ポケットから電子手帳のようなものを取り出した。そしてそのタッチパネルになにか入力すると、一番手前の乗り物に向かって信号を送った。すると両側のドアが鳥の翼のように開いた。二人はその中に乗り込んだ。ドアが静かに閉まると、それはふわりと空中に浮き上がりそのまま前方に滑り出した。
わたしは思わず、これはいったい何ですか、と尋ねていた。
「これは、エアーカーですよ。」
「エアーカー? 初めて見ました。世の中にはもうこんな便利なものがあるんですね。」
「これはもう50年以上も前に造られたものなのですよ。水素燃料で走るので自然を排気ガスなどで汚さないですし、全自動で、そして何よりも静かなので今でも広く使われているんです。」
わたしはその時、自分の時代感覚に変調をきたしているような居心地の悪さを感じた。
「山本さん、ちょっと変なことをお聞きしますが、今年はいったい何年だったでしょうか。」
山本さんは目の奥で、おやっ、という軽い驚きの表情を浮かべながら、
「LOTUS(ロータス)200年ですよ。もう使われなくなってしまった旧暦の、西暦2023年にロータス暦に切り替わってから、今年はちょうど200周年に当たるんです。その記念行事が、今世界中で盛んに行われています。」
この時はじめて、なぜか自分が二百二十年後の世界にひとり迷い込んでいるらしいことに気がついた。そして山本さんに向かって思わず、自分は西暦2003年の遠い過去からここに迷い込んでしまったようなのです、と、不安な思いとともに正直に打ち明けた。すると山本さんは鷹揚な口調で、あはははは、あなたは面白い人だ、それではそういうことにしておきましょうかね、と言って少しも真剣に取り合おうとはしなかった。
わたしもそれ以上そのことには触れなかった。たとえ、自分は真実を語っているのだ、と繰り返し訴えてみたところで、信じてもらえそうになかった。正直なところ、自分でもにわかには信じられないのだからなおさらであった。
今はなにか他の事で、このやりきれないような気持ちを紛らすしかなかった。わたしは20メートルほど上空を時速50キロほどのスピードで滑空し続けるエアーカーの中から、眼下に広がる街中の景色を眺め始めた。
どの家も、そのおよそ三分の一が建物で、残り三分の二ほどが庭だった。そして、庭の半ばは菜園で、あとは果樹が植えてあったり小さな池があったり花壇になっていたりした。そしてどれも手入れが行き届いていた。ここではだらしのない様子にお目にかかることはできない相談らしかった。
住居のほかには、小川や大きな池、小さな公園や凝った造りのあずまや、お寺に神社、それにテニスコートなども眼に映った。しかし、なんといっても目を引くのはその緑の多さだった。
その時エアーカーが止まり、ゆっくりと下降し始めた。そして、門の前の駐車場のように区画された所に着地した。山本さんはまた例の電子手帳のようなものを取り出して信号を送り左右のドアを開けた。二人が降りると、また信号を送った。エアーカーのドアが閉まり、ふたたび空中に浮き上がってそのままどこかへ行ってしまった。
「山本さん、その電子手帳のようなものは何ですか。」 わたしは好奇心に駆られてたずねた。
一瞬、なにを尋ねられたのか、と訝しそうな眼差しだったが、すぐに、ああ、このことですか、これはテレポーターですよ、と答え、そのまま先に立って庭に入っていった。
「これがわたしの住まいです。ここではみな家庭菜園をしています。それぞれ種類ごとの量は少ないのですが、我が家では、ねぎやほうれん草、それから大根、にんじん、キャベツにキュウリ、たまねぎ、ジャガイモ、なす、トマトそれにさまざまなハーブも植えています。果樹は、柿とブドウ、それにイチジクと梅を植えています......。わたしは睡蓮の花が大好きなので、この小さな池と、あそこにある温室の池で、温帯性と熱帯性の両方の睡蓮も育てているんです。」
「かわいい花ですね、この花は。」 わたしはすぐ足許の池の中に咲いている黄色い花を指差して言った。
「これはヒメスイレンという、小さな花を咲かせる種類のものです。」
「ヒメスイレン?ですか。 あっ、あの白い花の上に糸トンボが止まっていますよ。よく見ると、ここにはたくさんのトンボがいますね。」
「気が付かれましたか。いや実を言えば、わたしは 『 トンボの会 』に入っていまして、この庭でもいろんな種類のトンボを育てているんです。わたしはまた『 めだかの会
』にも入っているので野性の黒めだかもたくさん育てています。しかし、ちょっとつらいのは、時々トンボのヤゴたちにめだかが食べられるのを見なければならないことです。けれど、それも自然の摂理ですから我慢しなければなりませんね。」
わたしは、そのちょっと悲しげな横顔を見て、山本さんがなんとなく好きになってしまった。
庭はじつによく手入れが行き届いていた。まるでどこか名のあるお寺の小庭にいるようだった。低い竹垣で仕切られただけの両隣の庭を見ても、まるで手抜きがなかった。住んでいる人のそれぞれの好みのあらわれた、まことに丹精された庭だった。
二人はやがて温室の前を過ぎ、玄関に来た。鍵のかかっていないドアを開けると、山本さんはわたしを内に招き入れた。わたしは家の中に奥さんかだれかいるのだろうと思った。しかし、中には誰もいなかった。この家は鍵も掛けずに無用心だな、と思った。
山本さんは靴を脱ぐと、それを玄関の隅にきちんと揃えて置き直した。わたしも負けずに山本さんの靴のとなりに自分の靴を揃えて置いた。
用意していただいたスリッパを履き、山本さんの背後から廊下を歩きながら、鍵も掛けずに外出なさるなんて無用心ではないですか、と驚きの気持ちのほかに、少しばかり責めるような気持ちも込めて聞いてみた。すると山本さんは平然とした口調で―――このあたりでは誰一人として玄関に鍵をかけて外出するような人はいません。だれも無断で家の中には入りませんし、それに家の中には盗られて困るようなものはなにひとつないのですから。また、万が一泥棒が入っても、可哀想なのはむしろ泥棒さんの方で、見つかると修道院と禅堂に、それぞれ3年間も送り込まれるのですからまったく割に合わないのです。世俗の人間はだれも、好きこのんで人里遠く離れたところで、合わせて6年間もの祈りと座禅と労働の厳しい修行を求めたりはしませんからね。
わたしは呆れて訊ねた、ここには刑務所はないんでしょうか?
「刑務所は百年ほど前に廃止されました、無意味で時代遅れになったからです。」
わたしには刑務所のない社会など、にわかには信じることができなかった。わたしの頭の中は思いっきり混乱してしまった。すでに軽いカルチャーショック状態に陥っていた。
廊下の先は20畳ほどのリビングになっていた。そのほぼ中央にオフホワイトの大きなソファーがL字型に置かれていた。そしてその前には透明なガラステーブルがあり、その先に50インチ位の大きさの液晶テレビのようなものが置かれてあった。また、奥のほうにはキーボードらしきものもあった。
左側の白い壁を見るとそこにはレオナルド=ダビンチの『モナ・リザ』と、パウル=クレーの、エジプトのピラミッドをモザイク風に描いた『アド・パルナッスム』が掛かっていた。これらの絵はわたしも好きなものだった。元来、わたしは絵が好きで、よく絵画展にも行く。それで、この部屋に飾ってある絵の趣味のほども、ある程度は分かるつもりだった。『モナ・リザ』は自然と人間との宇宙的な照応を、また、『アド・パルナッスム』は人間の精神世界の神秘的諧調を想わせた。
見回したところ、そのほかには鳩時計が壁に掛かっていたり、小さな飾り戸棚が置いてあったりするだけで、室内はいたって簡素であった。
山本さんは、さあ、どうぞ、ソファーに掛けておくつろぎ下さい、今お茶を入れてきますから、と言いながら部屋を出て行った。それから5分ほども経ったろうか、やがて、お盆の上にガラス製のポットや湯飲み茶碗などをのせて戻ってきた。そして、テーブルの上にお盆を置き、これはたったいま庭から摘み取ってきたハーブで入れたお茶です、もう少し抽出しますからしばらくお待ち下さい、と言いながらソファーに腰を下ろした。やがて、もうそろそろいいかな、と呟くと、ポットからふたつの茶碗に、交互に少しずつ湯を注いだ。注ぎ終わると、そのうちの一つをわたしの前に置き、「これはヒソップのお茶です、お口に合うといいのですが。」と言って勧めてくれた。
「もしよろしければ、お好みに合わせてミルクでもハチミツでも、お好きなほうを加えてください。」
「はい、ありがとうございます。それでは、いただきます。 .....少しも癖のない穏やかな味のお茶ですね、何も加えなくてもこのままでとてもおいしいです。」
「ああ、それはよかった。」
山本さんは本当にうれしそうな笑顔を浮かべながら、
「ところで、小山さん、失礼ですがあなたのお年をお聞きしてもよろしいですか、もし差し支えなければ......」
「今、ちょうど三十です。」
「三十才ですか、お若いですね。ところでどの地区からお越しになられたのですか。」
「地区?ですか。わたしは東京から来ました。」
「東京?ですか......」と言いながら、山本さんの目がまた少しばかり物思わし気に泳いだ。
「むかし東京と呼ばれたところは、100年以上も前に30ほどの地区に分割されて、今はなくなってしまっているのですが、......」
このとき、山本さんは、先ほどの、わたしが西暦2003年の遠い過去からここに迷い込んでしまったようだと言ったことや、子供でも知っているエアーカーやテレポーターを知らないことや、たった今、東京から来たと言ったことなどを考え合わせて、どうもわたしが記憶喪失かなにかで頭が混乱しているのだろうと判断したように思われた。というのも、これは後から振り返って感じたことであるが、これ以後わたしに対する山本さんの態度がより丁寧にまたその説明がより詳しいものになったように思われるからである。これは親が病気の子供に対するような、あるいは精神科医がその患者に対するような、ほとんどこちらの存在全体を柔らかく包み込んでしまうような優しさに溢れていた。そしてその優しさの中に、一日も早く、西暦2003年から現在までの長い空白期間を埋めて、わたしの失われた記憶を回復させようという、山本さんの隠された願いと意図を感じたのである。それはわたしにとっても大変ありがたいことであった。わたしも実際、西暦2003年からロータス200年と言われている現在までに、いったいどのような歴史的時間が流れたのか、大いに知りたいと思っていたのだから。