――― 礼奈、わたしはますますあなたへと深まっていく。絶えることなきあなたへの語りかけと、いつの頃からか始まったあなたへの密やかな祈りとを通して、わたしはますますあなたへと深まっていく。         
 わたしはまず、あなたなる『青い睡蓮』を通して、天上的PLEROMAに連なる精神の聖なる光へと導かれたのでした。                    
 その光は、自己中心的な硬い殻をようやく破り、この世にたまゆら生きることを許された自分の生命が、万象の根源であるあの世的な、永遠にして聖なるものと一つに融け合うことによって、自ずから内に輝き始めるものなのでした。                      
 しかし、礼奈、わたしはさらに今、よりこの世的で、ありふれた存在―――その中で睡蓮の根を養い、その上に円い浮葉を放射状に浮かべ、その葉の間から天上的な光の花睡蓮を咲かせる『水』へと深まろうとしています。  
わたしは長い間、あなたの絵の中の華ともいえる青い睡蓮の花にばかり眼を奪われていたのですが、ふと気づいてみれば、その花を咲かせるには必ず水が必要なのでした。そして、そのような眼であなたの絵を見つめ直してみると、そこには睡蓮を養い育てている水のさまざまな相がさりげなく、しかし無限の豊かさをもって表現されているのでした。それはその表面のすみずみに、またさらにその深みへと浸透(しんとう)するように、朝日の淡い黄金色に染まった空と雲を映し、草木の緑を映し、あたりに多様な生命の気配を漂わせ、風の動きにつれて細かに波立ちながら、ひそかに睡蓮の開花を支えているのでした。         
 わたしは、そのような水のより深い本質に心を寄せるようになってから次第に、天上的な精神の花を咲かせているこの世的な水に象徴される、相互に多様に関わり合い支え合っているあらゆる存在に対し、心の眼を開き始めたのでした。                      
 礼奈、まことに、聖なる精神の花である睡蓮は、この世的存在である水の中から、その水を超えて咲き出でるのですが、一方、そのように自らの存在を捧げて、自らの上に聖なる睡蓮を花咲かせる水もまた本来、深く天上的聖性に属していると言えるのではないでしょうか。 

―――礼奈、あなたは何と水に近く生きていらっしゃったことでしょうか。城趾公園のお濠に面した家にお生まれになったあなたは、幼い頃から、お父さまやお母さまの腕に抱かれてお濠を眺めてお育ちになった。早朝の静かな水面を眺め、昼日の明るい水面を眺め、夕方あるいは夜の暗い水面を眺めながら大きくなられた。       
 あなたはまだ幼い頃から水にまつわる全てのものに親しまれた。それは陽光と戯れる水であったり、風と戯れる水であったり、水草を養い、小さなエビや虫たち、あるいはさまざまな魚たちを養う水であったりしました。あなたは手で水と戯れたり、足先で水と戯れたり、さらには夢の中の深い意識の中で水の神秘に親しまれた。     
 あなたのまわりには生まれた時からいつも生命を育む水のにおいが漂っていたのでした。

―――礼奈、あなたの優しいまなざしが、その真実の深みを増しながら、わたしのまぶたに浮かんできます。あなたの清らかな瞳はいつも、分かちがたく関係し合ったこの世の全一的な真実を映して美しく輝いていました。それは世の中のあらゆるものをそのあるがままに映しながら、その汚れに汚されることなく、水の中から水の上へと咲き出るあの聖なる青い睡蓮のように澄み切っているのでした。 あなたのまなざしは、あなたとこの世のすべてが、あなたの透明な心の中で一つに融け合ってかもし出された全一的なまなざしでした。その中では、意味のないものは何一つなく、ありとある一切のものは一体であり、その全てに無上の価値があるのでした。            
 まことに礼奈、あなたの瞳はいつもこの世のあらゆる相対性を超えた、究極にして絶対の、永遠の神秘を映していらっしゃるのでした。

―――礼奈、あなたは一瞬の中に永遠を生き、微小なものの中に宇宙を見、自己とともに一切万有をPLEROMAに包み込んだ、境界のない無窮神秘そのものとなって、この世に顕現なさっていたのでした。ところで、その全にして一なる無境界の神秘世界は永遠の中で円環(めぐり)続けます。その円環(めぐり)の中で、この世の生は、自らの内に死を取り込みます。自らの死を受容した生はもはや利己に走ることなく、本質的な浄らかさを生きます。しかも、この世の表面的な現象としての悪をただ一方的に裁くのではなく、その罪を本質の深みによって清めようとします。そしてふたたび、あらゆる存在の本来の姿である聖なる全一的円環へと導くのです。         
 礼奈、あなたはそのような、永遠に円環する、無窮神秘の、この世的現われなのでした。

―――礼奈、本質すなわち全一的真実界には、水やエネルギーなどのようにもともと境界すなわち形がありません。そのような形を持たない本質に形を与えるのはさまざまな容器(いれもの)です。            
 一方、人間社会において、本来形のないわたしたちの人生に形を与えるのは、文化や習慣や職業などといったものです。そして、そのような文化的伝統や社会的習慣や職業などから切り離されてしまった時、人々はしばしば不安を覚えます。                   
 ところで、礼奈、もしもそのようなわたしたちの本質に形を与える文化や習慣や職業そのものが、本来あるべき姿から大きく逸脱してしまっているとしたならどうでしょうか。その中で生きるわたしたちの生存のあり方そのものが、その時、わたしたち自身の本質的な生存を脅かすものとなってしまうのではないでしょうか。        
 しかし、礼奈、本質とは一体何なのでしょうか。具体的に何を指しているのでしょうか。          
 礼奈、本質とは、それなくしてはわたしたちの存在そのものが在り得ない、この生命に必須のものではないでしょうか。つまり、人間の存在に先行する全てのもの―――この宇宙を構成する光やクォークや原子や分子や大地や海や生命あるものの全て、すなわち、この大自然の全一世界の一切―――ではないでしょうか。そして、その全一的な本質の中から、それを無償で与えられた環境として、わたしたち人類がこの世界に出現することができたのでした。このような本質は、わたしたち人類をも含む一切を包み込んだ、全てが一体となった渾然たる一つの大きないのちに他ならず、それは他の何ものとも切り離すことのできない聖なるいのちであり、何一つとして汚してはならない永遠清浄
(えいえんしょうじょう)のいのちなのではないでしょうか。しかし、わたしたち人類のみが、その本質世界の深い恩恵のただ中に生かされていながら、その限界を知らない欲望のおもむくままに、本質の正しい流れから逸脱し、あろうことか、みずからの本質世界を勝手に切りきざみ、それを汚し続けているのです。          
 礼奈、わたしたち人類は今、物質的豊かさや生活の便利さを手にした代償に一体何を失ったのでしょうか。......多くの森を失い、山を失い、海や川や湖沼の本来の清らかさを失い、汚れのない砂浜や干潟を失い、清浄な空気を失い、健康な大地を失い、そこに住んでいた多くの鳥や魚や動物たちを失い、そして何よりもわたしたちは浄らかにそして生き生きと輝くみずからの健康な心と、真実に深く根ざした生命の純粋な本質的歓びを失ってしまいました。                       
 現代文明は物質的な豊かさと便利さのために、生命の母胎である地球の環境そのものを破壊してしまい、そのような環境の中で、わたしたちは本質への感謝と畏敬の念を忘れ、心は病み、その生命は深くむしばまれています。そして、正気を失った酔いどれのように、その時その場限りのまがいものの享楽にうつつを抜かし、清らかな生命の珠玉の時を虚しく過ごしているのです。        
 礼奈、わたしたちの時代の文明は人間の本質を高めることがありません。むしろ本質から乖離し、本質を汚し続けます。そのような文明に一体どのような益があるでしょうか。どのような未来があるでしょうか。わたしたちは、子や孫たちのためにも、このような欲望をあおり、自然を汚す文明が生み出した現代社会の構造を一日も早く清算して、お互いがお互いの本質を支え合い高め合い豊かにし合う、全一的で清らかな本質に根ざした新しい世界を構築しなければなりません。

―――礼奈、このようなことがこの世にはあるのですね。
 それは都心から帰る途中でのことでした。急行から各駅停車に乗り換えたわたしは、ドアの左脇の座席の前に立って電車の発車するのを待っていました。      
 眼の前の座席には1才位と思われる女の児を胸に抱いて、まだうら若い女性が座っています。わたしの眼に映るその女性の優しさにあふれた眼差しの中に、かすかにあなたの面影を見たように思い、ふとわたしは心の揺れるのを覚えたのでした。                  
 やがて電車は動き出し、わたしはつり革につかまって窓外に眼をやりながらも、いつしか心の眼ではあなたのなつかしい面影を記憶の中に追っているのでした。あれからすでに二十五年の歳月が過ぎ、今ではわたしも白髪の目立つ年になってしまいました。それでもなお、あなたの面影はあざやかにわたしの脳裏に浮かんできます。その余りのあざやかさに、やゝともすると眼の前の現実世界が淡くかすんでしまうほどです。そしてわたしの心は深く満たされ、眼の前の世界に対しても優しい感情でいっぱいになれるのです。

 その時、それまで眼の前の女性の胸に顔をうずめて抱かれていた女の児が、ふとその顔を上げてわたしの方を見上げました。その瞬間、わたしは自分を忘れるほどの驚きと喜びに打たれたのでした。その児は、礼奈、写真帳の中で見た幼い頃のあなたに瓜二つなのでした。わたしはその児があなたの生まれ変わりではないかと一瞬わが眼を疑いました。このようなことが現実にあろうはずがないと分かってはいるのですが、何度見つめ直してもその児はあなたの幼い頃の写真の面影と重なり、さらにはその児の成長した想像裡の姿がわたしの知っているあなたの面影と重なり合うのでした。        
 わたしはしばし恍惚としたような思いでその児を見続けました。するとどうでしょう、驚いたことにその児が母親の胸から伸び上がり、わたしに向ってだっこをせがむように両の腕を伸ばしてくるではありませんか。その児の瞳は清らかに輝きながらわたしの眼を見つめています。わたしには過去と現在とが一つに融け合った永遠そのものの中に溶け込んでしまったかのように感じられました。このような所で、このような時に、あなたとふたたび出会えるなどとどうして信じられたでしょうか。わたしは、ただただその不思議な感覚の中で、われを忘れてしばし呆然としていました。また、その時、心のどこかに、見も知らぬその児の母親への遠慮と、またその児を抱き上げる気恥ずかしさも働いていたでのしょうか、ついにわたしはその児のだっこの望みに応じることができないでしまったのでした。やがてその児の腕はあきらめたように引っ込められてしまい、ふたたび母親の胸の中に小さな身体を落ち着けたのです。       
 電車は次の停車駅にすべり込み、客の乗降を終えるとまもなくふたたび走り出しました。        
 女の児はやがてそのふっくりとした白い小さな手をのばして、すぐそばの手すりをつかむと、ドアのあたりを眺めたりし始めました。わたしはといえば、心の底から優しい気持ちになりながら、なつかしさいっぱいにその児の様子をあきることなく見つめているのでした。わたしの中の優しい気持ちはその児の母親にも通じていたと思います。なぜかわたしはその母娘と自分とが、この世で最も愛し合っている血のつながる親子のようにすら思われてきたのでした。              
 わたしはその時、一点のしみもない不思議な幸福感にひたされていました。              
 しかし、電車はほどなくわたしの降りる駅のプラットホームにすべり込んでいきました。別れの時がきてしまいました。わたしは心の中でどこまでもその母娘といっしょに行きたいと希いましたが、やはりわたしの中の常識がそれをおしとどめます。           
 電車は停まり、ドアが開きます。降りなければなりません。わたしはドアに向って歩き始めながら、とっさに、手すりをつかんでいるその児の小さな手の甲に、わたしの中指の先をそっと押しつけました。その児のこれからの人生に大きな幸せをと祈ってのことでした。その瞬間、その児の瞳はふたたび驚いたように輝いてわたしの眼を見つめ返しました。わたしはその瞳に向ってありったけの優しさを注ぎ込みながら、電車を降りました。わたしの指先にはふっくりとあたたかいその児の手の甲の感触がいつまでも残ったのでした。        
 礼奈、ほんとうに今もこのようなことがこの世にはあるのですね......

                    

 

 モーリス=ラベル作曲 『夜のガスパール』

 第一曲『オンディーヌ(水の精)』

 ほの青い月の光に照らし出された湖とそのほとりに建つ城のあたりにかすかに妖婉な霊気がただよっている。
  薄闇の中で細かに波立っている湖面がその細波の一つ一つに月の光を映しながらキラキラ光っている。  
 お城の露台では虹色の衣装をまとった若い貴婦人が一人立ち、星の明るく輝いている夜空とかすかに震えながら眠っている湖をじっと見つめている。      
 雨も降っていないのになぜか男の部屋の窓ガラスには水滴が降りかかりそれが幾筋も伝い流れている。 
 人気のないその窓辺に若い女のおぼろげな影が浮かびあがり、やがて哀願するように話し始める。    
 『ねえ、ねえ、月の光に照らし出されたあなたのお部屋の窓ガラスをそっと鳴らしながら降りかかる水滴はわたし、オンディーヌよ。そしてあなたの奥さんが眺めている湖の水の一滴一滴が、湖底の宮殿へと、うねりながら流れていくわたしなの。わたしのその宮殿は火と土と空気の三角形の中に水で造られているのよ。』   
 女の妖しげな声はその声音も豊かに、さらに男の気を引こうとして、自分の父親が緑の榛の木の枝で水をたたくことや、姉たちがみずみずしい草の茂る島や、睡蓮やグラジオラスの咲き誇る湖沼や島々をその飛沫の腕で撫でたり、また、ひげを垂らして魚釣りをしているしおれた柳をからかったりすることなどを話し続ける。                
 やがてふと女は声の調子を変え甘くささやくように、自分のこの指輪をその指に受けて夫となり、湖の王としていっしょに湖底の宮殿へ来るようにと男に請い求める。                       
 その女の声に向って男が弱々しく震えるような声で、『自分が愛しているのは、死に定められた人間の女の方なのだ』、と答えると、オンディーヌはその答えに苛立ち不意に涙を流したかと思うと突然かん高い笑い声をあたりに響かせ、青い窓ガラスを伝い流れる白い雨滴となってふっとどこかに消え失せてしまった......

 

 

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