人類が生き延びていくための、また、すべての人が人生の最高を生きていくための
最高戦略としてのユートピア
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高最善の人生(本質実存)を生きるための最高最善の地球社会システム(ユートピア)の実現。ユートピアはあらゆる人に安心と安定を与える理想的な社会システムである。
わたしたちの精神的向上によって、この地球世界は今よりはるかに素晴しいところになり、わたしたちの日常生活はもっと楽しく、もっと生きる意味と価値にあふれたものになる。
本質的価値と社会的価値と個人的価値の統合。利潤を最高価値とする資本主義的価値観ではこの統合は永久になし得ない。
ユートピアでは、他者の犠牲によらない全一調和的な幸せに満ち溢れる。
ユートピアでは、最高の人間関係が築き上げられる。
無償で与えられて在るこの命の全一性(宇宙丸ごと、大自然丸ごとの自分の生命)を拝受し、それを楽しみながら今を生きる。
選択の判断に迷ったときは、より本質的な選択肢を優先させること。
本質活動はこよなく美しい。
わたしたち人間世界においては、自分自身と世界に対して抱くわたしたちのイメージ(世界観と価値観)が現実世界を牽引していく。したがって、現実世界をより良いものにするためにはまず何よりも、わたしたち一人一人の個人的な世界観と価値観を今より一段高い、より全一的なものへと押し上げていく必要がある。
大自然と全一調和し、全人類が全一調和する本質中心世界。生活の精神化、芸術化。現代人の手によって母なる自然があらゆる場面で破壊されつつある今、われわれはようやく本当に本質実存の大切さに気付き始めている。
全一的永遠は深く深く転じていく。
全一性=永遠現在
目を通して、耳を通して、肌を通して、内部感覚を通して、そして心を通して大自然との全一性を感じる。
頭頂部から、足裏から、全身の皮膚から、大自然の全一的生命との連なりを感じる。
いつもこの命の全一性(丸ごとの大自然の命としての自分)を忘れないで生きていく。全一性を忘れないためにはいつも内なる我執(小さく狭い自己意識)を透明化していく。
決してこの大自然(水、空気、大地)を汚さないように、人間としての慎み深さを生きていく。過剰な欲望と享楽癖とによってこの大切な全一調和世界を汚さないように生きていく。地球社会全体に本質的ルールを及ぼしていく。人間(個人的、組織的、地域的、民族的、国家的、人種的)の自己中心的欲望の自由追求を本質的ルールによって制御していく。
わたしたちは一人の例外もなく、それぞれが自分を包んでいるそれぞれの全体世界から平等に生かされている存在である。だから、この一点においても全ての人は全体世界(人間世界を含んだ大自然)の前に絶対的に平等である。 それゆえ、自己を他者の前に誇り、そのうえ厚顔にも他者を手段化し、さらにはそれを支配して自分の意のままに操縦し、利己的な利潤を得ようとする者は全て本質的にこの世の真実を歪め、汚す者である。
いかなる組織も個人の本質展開を妨げてはならない。
人の一生は、その人の生まれた社会の成熟度に大きく左右される。
博愛的公正心によって、地球社会のあらゆる場面において、あらゆる形のアンバランスを解消していく。
わたしたち人類の最優先課題は、自らの活動によって自滅しないことである。今や人類はいつ滅んでもおかしくないような自然環境の中で生きている。次の一瞬に決定的な自滅へと向かう連鎖過程の第一歩が踏み出されるかもしれないのである。それはあるいは疫病の形で、あるいは自然環境の激変の形で、あるいは遺伝子異常の形で、あるいはそれら全てが合わさったような形で始まるのかもしれない。誰もそれを予測することは出来ない。しかし、これまでの人類の活動がこのような危機的状況をこの地球上に生み出していることは間違いない。人類は今、生き延びるか自滅するかの岐路に立たされている。わたしたち人類の未来は、これまでと同じように人間の勝手気ままで上滑りな活動を続けていくか、それとも、この地球上に生を受けたものとして本来あるべき、大自然との全一調和的活動へとみずからの活動様式を軌道修正していけるかどうかに掛かっている。わたしたちはもっと真剣にこの問題と取り組まなければならない。現代社会に蔓延している愚かしい享楽的な生活スタイルを続けることによって、わたしたちの多くの未来世代の、この世に生まれ出る喜びの可能性をわれわれ自身の手で奪い去ってはならない。
現代人の意識レベルではこの世に全一調和世界を実現することは無理なことかもしれない。しかし、人間として生きている限りはこの本質的な理想に向かって努力し続ける以外に道は無い。
地球社会の真のリーダー、過去の失敗に学んで再構築された真の指導的原理の確立。博愛的公正を地球社会全体に及ぼすような社会システムの構築。
一人の例外もなく、人は刻々と自分の死に向かって生きている。だからこそ、人は自分の命の本質を生きようとし、また、住んでいる社会のシステムを本質化しようと努めながら、それぞれの人生の最高を生きていかなければならないのである。死はいつもわたしたちの目の前でその見えない腕を大きく広げて待ち受けている。死に面して後悔しないためにも、わたしたち現代人はいつまでも本心を見失ったような、上滑りな人生を送っていてはならない。
表記言語によってのみ人類は真の知恵に至ることができる。あるがままの真実界の表記言語による抽象化によって蓄積され、高次統合化されて得られる真の知恵。そして、その知恵に基づいて次第に築き上げられていく地上のユートピア。
大自然に包み込まれ、大自然によって生かされているこの命。この現前の不可思議な事実に対する畏敬の念と、その限りない恵みに対する感謝の念。
さらに深く、宇宙丸ごとの自分の命の本質認識を深めていく。本質認識が深まるごとに命もその内なる悦びを深め、いのちのさらなる不可思議に感嘆する。
いのちの真実の喜びを生きている。ただ生きていることがすでにそのまま宇宙の全一的喜びだ。真実世界の全一的な認識から湧き上がってくるこの命の喜びを生きる。(永遠の真実界が言語によって高次統合されて得られた真の知恵がもたらしてくれる全一的な喜びを純粋に生きていく。)
全一的祈り・全一的感謝・全一的方向感覚
全一性は全一的真実界と一体である。
全一性は過剰な自己防衛、過剰な欲望追求を自己制御する。
全一的視座はあらゆる部分性・自己中心性を乗り越えていく。
真実はいつも全一的である。その全一性から離れないで生きる。
自己の本質、すなわち全一的自己を生きていく。そして、その全一的自己は全一的世界を浄らかに生きていく。
いのちの本質的祈り
一番大事な物事を最優先させる本質主義社会。
脳の中枢が本当に満足している状態としての至福。脳の中枢すなわち真の自己が満足していれば全身の細胞の隅々までが満足する。もはや、自己世界の一切が至福にいたるのである。
単に部族や国家や人種や宗派を導いていく部分的リーダーではなく、人類全体がその内なる永遠本質を実現することのできる全一調和世界へと導いていく真のリーダーたちによって導かれる真のユートピア。
私的コントロールではなく全一的コントロールが働く地球市民社会の創出。
万物に対する、そして生きとし生けるものに対する感謝の念を忘れない。この全一的宇宙に生かされているこの全一的いのちに感謝する。
欲や名誉や快楽に眼の眩んだ自己中心的人間を内なる本質的認識と知恵の開発によって抑制していく。
自己の命そのものとその命を生きるために必要なあらゆるものを大自然から与えられて生きているわれわれの誰一人として悪(利己的行為)を行う権利を持たない。
この大自然に生かされているあらゆる地球生物は相互に絶対的に平等である。
出来るだけ広い視野から物事を見、出来るだけ公平で本質的な判断を下す。そして、そのようにして下された判断に可能な限り忠実に従うよう工夫しながら日常を生きていく。
本質を歪めるさまざまな要素を社会から一つ一つ取り除いていく。たとえば、全一的本質を正しく反映しない資本主義的市場経済システム。私有制。階級性。部族主義や国家主義。閉鎖的独善的な宗教的原理主義など。
ところで、人間はその八割は生物(38億歳)として、また、一割は人類(500万歳)として、またその五分(ごぶ)はその歴史(文化的伝統的慣習)を共有する部族(数千〜数万歳)ないし国民(数十〜数百歳)として、そして残り五分においてより高次の未来を創造する自己精神(数十歳)として生きていく。そして、その精神的活動によってのみ人類は本質的成長を成し遂げていく。しかし、精神活動の後発性とその時間的積み重ねの短さゆえに、人類の本質的成長も遅々として進まず、また、精神的活動の重要性が人間同士の間においてすらもなかなか理解されないのである。しかし、まことに精神的活動のみが人類を真に成長させ、真に繁栄させ、永遠の真実へと導いてくれるのである。精神的活動なくして人間は真の人間には成りえない。すべからく人は皆、内なる精神性を開発し、それを向上させ続けていかなければならない。それがこの地球上に人間として生まれ、人間として生きていくことの本質であると思われる。
一人の人間が死んでも、この宇宙はほとんど何も変わりはしない。しかし、同時に一切が絶対的に変わってしまうのである。つまり、宇宙にとって自分一人の存在はほとんど無であり、しかしながら自分自身にとっては全てである。この宇宙的宇宙と一体の自己宇宙の重層性を生きる。
この宇宙的宇宙と一体の、内なる精神によって統合された宇宙的自己精神が真実の自己である。宇宙的宇宙=宇宙的自己精神=真実世界、すなわち、真の自己とはこの自分に関わる重層世界のすべて〔PLEROMA(根源的エネルギー)+宇宙+銀河系+太陽系+地球+生命系+人類+自己身体+意識(精神)〕である。
人類の精神がほんとうに成熟するのはいつの日のことだろうか。
人間の身勝手さ、いい加減さが、母なる大自然を破壊し、自らを破滅に導く。
人類の存続のために、いや、地球生命系全体の存続のために、人間世界を本質化していく。
歴史と現実に押しつぶされてはならない。本質的未来に向かってしっかりと歩き続けなければならない。
あらゆる人間活動の本質的方向付け。政治・教育・経済・文化活動・地域社会・日常生活。世界の本質的高次統合。
欲望の充足から本質の実現へと人生の目的をシフトしていく。
何事も全一的視座に立って判断する。
自然の法則を無視し続けて、盲目的に欲望を追い求める現代人は、人類全体の未来を奪う反本質的存在である。
あらゆる生き物たちはその持てる知恵を総動員してそれぞれの本質を生きている。われわれ現生人類だけが、殊にその中でも現代人がその本質を大きく歪めて迷走し続ける。
あらゆるものを商品化し、あらゆる物あらゆる命を手段化して利潤追求に酔い痴れる現代資本主義世界。そして、大自然の本質を、また、生きとし生けるものの本質を汚し、歪め、その命を奪い続けていく。そんな中でわれわれはと言えば、非本質的な日常生活を余儀なくされ、汚染した大気と水と食べ物によって肉体を侵され続け、お互いにつまらないことで対立・競争し合い、貧富の差はますます拡大し、未来を見失ってやがて自滅していく。
資本主義社会では、利潤追求の影にいのちの本質が隠されてしまう。
衣食住において本質的必要性を越えて、さらなる贅沢を求めさらなる贅沢を生きている者たちは例外なく罰当たりである。また、欲望の自由追求に走る現代資本主義は本質世界を破壊する魔のシステムである。人類はいつまでこの愚かしい社会システムを続けていくのだろうか。現代文明はその進むべき方向性を間違えてしまった文明である。現代人のマインドセットは反本質的である。贅沢化、浪費の増大化。現代人はいのちの本質を真正面から見つめようとしない。ただ、より快適な生活を求めて、便利さと贅沢さと独善的な自由を追求し続ける。そして、自然と社会を破壊と混乱へと導いて行く。
反本質的モデル国家としての現代アメリカ。 欲望追求第一の独善的ご都合主義的国家としての現代アメリカ。軍産複合体と巨大世界企業を中心とした利潤第一主義の反本質的社会体制。人類全体の本質的公正性を無視し、詭弁を駆使する狡猾な利己主義者を中心とした国家体制:物と金と武力によって自国の繁栄を最優先させる反本質的国家。このような現代アメリカ主導の世界体制では地球社会に真の幸せと本質的な繁栄は永久に望めない。現アメリカ政権の反本質的な自由競争主義による似非民主主義によって、貧富の差はますます拡大し、自然は破壊され、人種的・宗教的・性的・地域的な差別が増幅され、個人間、民族間、国家間、人種間の相互不信が強まっていくばかり。お互いにお互いを理解し尊敬し合う博愛的公平さに満ちた理想社会はとても期待できない。安易に劣化ウラン弾を使うような軍産複合体国家アメリカの現政権の指導者たちは人類永遠の恥である。
本質に目覚め、本質を中心とした社会を築いていかない限り人類は早晩自滅する。
宇宙のあらゆるもの、そして地球上のあらゆる生き物たちと同じように、人間もまた永遠そのものの全一的な現われであり、その浄らかな展開である。その永遠の現われに相応しい意識と社会システムを実現して、一人一人、内なる永遠を十全に表わして生きていく。
この身勝手で危い人類という生物種。この身勝手で危険極まりない現生人類をどうすれば正しい道に引き戻すことが出来るだろうか。持てる知恵の全てを使ってその答えを見出さなければならない。
自分さえヨケレバ、自分の家庭さえヨケレバ、自分の地域さえヨケレバ、自分の部族さえヨケレバ、自分の国さえヨケレバ、人類さえヨケレバなどという自己中心的考えから抜け出して、全てが良くなればいいという本質的考えへと移行していく。
歪み偏った意識から解放されて、全一的な意識を生きていく。
人は皆、この世に最高最善の人生を生きるために生まれてくる。すなわち、そのいのちの本質を生き切るために生まれてくる。
全一的真実に基づいてのみ人は幸せに生きることができ、人類の安寧も保たれる。全一的自己へと成熟し、全一的世界へと完成していくことが人類の真の文明の方向性である。
欲望の自由競争的追求社会から本質の自由展開社会へ
知恵統合社会の構築。なにものにも偏らない全一心による全一統合・全一調和社会。
まず、なにものにも偏らない全一心の育成。それから次に、その養った全一心をさらに深く養っていく日常的修養。そして、その全一心による全一統合世界の実現。
人間にのみ都合のいい方向に加速度的に変化していく現代科学技術や経済システム。それにつれて壊されていく地球環境。また、社会内部においても強欲で自己中心的な人間を中心に権力や富が偏っていく。あらゆる場面で歪んでいく本質世界。 ...一日も早く、人間の全一的な知恵を開発し、それを高め続けていくことによって、すでに失われてしまったあらゆる関係系における全一バランスを回復し、現代人のこれまでのような反本質的傾向を是正していかなければ、早晩人間社会は破綻してしまい、自然の生態系も大きなダメージを受けるにいたる。
急激な変化は閉じた系に非平衡状態を引き起こす。急激な変化過程からさまざまな偏在性が生まれてくる。急激な変化は一方に偏った方向性を持つアンバランスな変化であり、それによって世界本来の全一的バランス状態が崩されてしまう。
現代はさらに加速度的に変化し続けていく。
現代世界がこのようであるその原因は何であるのか。本質を見失った人類のがむしゃらな欲望追求。
全一統合された最高精神を生きること。それがそのまま最高の実存であり、生成の究極目的であり、一切万象の永遠本質である。
最高精神は部分的利得を求めることなく全一的充実を求める。
権利と義務の平等、政治的、生活的平等...
最高精神こそが真の統合智である。
本質的大道を一歩一歩踏みしめながら生きていく本質実存。
精神が真に開花した最高精神。
最高精神が集い合う社会としてのユートピア。
生きとし生けるもの、ありとあるものに開かれた、真実の生成と究極目的が統合された知恵と慈愛の本質実存。
人間としてあるべき、また人間として当然な生き方としての本質実存。
本質の忘却から自由になることは出来ないものだろうか。われわれはいつも本質を忘却して、部分的な非本質的生活に転落してしまう。
一切は本来浄らかな全一的エネルギーである。それゆえ、浄らかな全一的エネルギーとして人生を行じていく。また、浄らかな全一的エネルギーの統合体として世界を統合していく。
常に本質について語り続けられなければならない。人間の本質について、また社会のあるべき姿について語り続けられなければならない。本質に基づかなければ何事も真に転じていくことは出来ない。
全一バランスの時、あらゆるもの、あらゆる生き物はもっとも自然でもっとも美しくもっとも活き活きしている。全一バランス状態が万象の本来の姿であり、生物間の本来の関係であり、人間社会の本来の状態である。そして、そのような社会的状態は、一人一人が全一的な無心の状態において、すなわち過度の自己中心性の無い絶対平等の関係において成立する。
本 質:全一性(絶対平等性・一体性)・永遠現在性(一時の絶対的時節)・
聖性(絶対性・清浄性)・自由創造性・全一(調和)的関係性
心 構 え:大自然への感謝・狭い自己意識の超克
社会システム:絶対平等主義・本質的自由主義・全一バランス社会
地球生物として生き延びていくために、より高度な精神文明を築きあげていかなければならない。そのための本質回帰。
自然を支配し貪る文明から自然を受容し自然に感謝する文明へ。
自然は不完全で未熟、自然は機械に過ぎないと考える文明から、自然は完全であり、その完全な自然に生かされていると考える文明へ。
人種、民族、宗教、国家、性、能力、世代間、地域間、兄弟姉妹間、個人間などのさまざまな対立や差別を乗り越えるには、絶対的平等制をもってする以外に方法は無い。
一人一人が、そしてまた一つ一つの地域が、それぞれの能力・個性・立場から、自らのために、と同時に人類全体・生命系全体のために生き、活動するユートピア世界。
経済活動という名の際限なき欲望追求によって壊れていく自然と人間の心。
自然環境を破壊する文明ではなく、自然と人類全体の本質を豊かにしていく文明。
この世で一番大切な認識は、この実存(今、ここに生きていること)の聖性(我執を超えた超越的全一性・不可侵性・絶対性)と無上性(価値無比・かけがえのなさ・僥倖性)の認識である。
ニルバーナに入れば、自他の差別なく、一切世界はこれ浄土。この世界を浄土に相応しいものにし続けていく。
ニルバーナに入れば、一切時はこれ聖なる時、この人生を聖なる時に相応しく生きていく。
聖にして無上なる全一的法界が自らを浄らかに転じていく。
世界の聖性を高めていく。
本来あるべき世界の姿:全一的桃源郷。
絶対的平等性の上の区別(個性)。
意味と価値の体系としての現実世界、
一切世界は意味と価値の体系として人間を包み込んでいる。
永遠絶対世界は言語を超えて存在している。
時間は習慣的な概念に過ぎない。真実世界では時間はなく、ただ全一的な展開があるだけである。
言語を超えた究極的な真実世界ではこの世には意味も価値もなく聖性もない。ただ、絶対的な無(ないし空)の風光があるだけ。そしてそれはどこまでも浄らかである。
第一次的真実相:絶対空
第二次的真実相:最高の意味と価値と聖性の世界