ユートピア幻想録

 

 

 

 

 

 

 

 

ートピアについて語ることは、決して、ただ単に取りとめもなくナイーブな夢想を語り続けるということではない。それは、多くの人々を刹那的な享楽主義へと転落させる現代的ペシミズムやニヒリズムに侵されることなく、人類がさらに生き延び、未来世代がより幸せに生きていくことのできる社会の実現を目指して、限りなく完全に近い未来社会のシミュレーションを、繰り返し繰り返し行なっていくことなのだ。すなわちそれは、現実世界のいたるところで引き起こされている数限りない社会的、自然環境的不具合を解消するために、その原因を取り除くというような、より本質的で根本的な仕方で理想世界を思い描いてみる思想的模擬実験の連続的試みなのである。そのためにはなによりもまず現実社会の病理を鋭く観察し、その病状が生じる源にまで遡ってその原因を究明し、さらにはその癒しの方法と手段を処方していかなければならない。

 

現代は欲望の垂れ流し時代である。人類の垂れ流す欲望の排泄物によって、地球生命系の本質がますますやせ細っていく。

 

現代人の肥大した私的欲望に汚染された意識が世界中にそして次の世代へと伝染していく。

 

視野の狭さとしてのエゴイズム。

視座の低さとしての現実主義。

思考の浅さとしての合理主義。

穢れ歪んでしまった心としての悪意。

 

視野を広げ、視座を高め、心を深め、そしてさらに心を清めて全一統合精神に至ろうと日々努めていく。そしてまた、日本社会の制度を全一統合的視座に立って再構築し、さらに世界全体の社会システムを全一統合的に再構築していく。

 

無知は本質価値の(認識の)不在であり、ニヒリズムは本質価値の否定である。このような無知とニヒリズムから全体世界との正しい関係性を見失ったエゴイズムが生まれる。そしてエゴイズムからあらゆる種類の分裂(対立)と混乱が生まれ、また制御の利かなくなった私的欲望の追求から際限のない浪費が生まれ、浪費から自然の荒廃が進み、やがて、自然の破壊とともに人類も滅びてしまう。エゴイズムの蔓延してしまったこの世界は、われわれ現代人の生活の便利さと享楽と引き換えにいのちの本質を失い、やがて遠からず自滅する。

 

ペシミズムはニヒリズムの感傷的表現形式である。

 

一方への偏り(アンバランス)から多くの社会的不具合が生まれる。わたしたちはそのような偏りを生み出すさまざまな原因を注意深く取り除いていかなければならない。

 

いったい、何時、誰が、この諸悪の根源にしてエゴイズムの極みたる私的所有制度を始めたのだろうか。社会システムとしての私的所有制度がある限り、また世界の社会体制と経済活動が、限りなく人間の欲望をあおり、弱肉強食的な自由競争を事とする資本主義経済システムによる限り、この世に真に自由で平等な、平安に満ちた社会は訪れない。これはもう明々白々たる事実なのだ。このような反本質的な社会システムによる限り、他にかけがえのないこの世界は全一的調和に満ちた祝福された場所ではなく、あらゆる種類の偏り(不公平と争い)が渦巻く永遠に呪われた場所となってしまう。

 

弱者の立場に立たなければ社会の真実は見えない。強者の立場に立てば人の眼はたちまち節穴になる。

 

あたかも次の瞬間に自分が死んでしまうかのように、あるいはまた、あたかも次の瞬間にこの世界が消え失せてしまうかのように感じながら生きることができれば、人はあるいはもっといのちの本質に目覚めて、周りの誰に対しても分け隔てなく、さらにはあらゆる生きものたちに対しても、また自分自身に対してすらも限りなく優しくなれるのかもしれない。そして、実際のところ、人は誰でもいつの日にか必ず死に、また、この世界もいつの日にか必ず消え失せてしまうのである。

 

Might is right ?  Only the strong survive ?  How could you be so stupid ?  Show true leadership. Earn respect by caring others, not by overpowering them. Protect the rights of minorities. Survive in more holistic harmony with every human being as well as every species on this planet. Assume greater roles and shoulder greater responsibilities to realize a new global community full of Mutual Understanding and Mutual Respect. After all, our world is one integrated whole where perfect balance predominates.

 

個人的、民族的、人種的、国家的、宗教的、人類的などのあらゆる形の優越意識は、地球世界の全一調和状態を損なう反本質的感情である。

 

選民意識、大国意識などの自己中心的意識から多くの禍が生じる。

 

力尽くのアメリカは、イラクにおいてますます醜態をさらしつつある。

 

人類にのみ一方的に都合のいい世界などこの世に存在し得ない。多様な生き物がお互いに少しずつ譲り合って生きる全一的なバランス状態の中でのみ、人類も安定な生存を保つことができる。また同じように、人間社会においても、多様な人種、民族、国家、宗教、文化の間に、全一的なバランス状態が保たれてこそ、安定した地球社会が実現する。力ずくで一方に都合のいい状態を作ろうとしても無理なのだ。結局、一方へ偏ることは強権力者自身を含んだ全ての人々にとって益にならない。

 

本質的な自尊心と、反本質的な優越感を峻別すること。

 

悲しいかな、今やわれわれの世界を、生命活動の本質的な必要性ではなく、私的欲望を中心とした市場原理という名の反本質的「妖 怪」が、日夜、跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)しているのだ。

 

資本主義社会においては、またその都市圏においてはさらに、エゴイズムが助長される。

 

無機的な利潤追求の前に世界はいのちの本質を見失う。

 

 

真  実全一的である。

真  理全一的である。

真の知恵全一的である。

真の自由全一的である。

真の関係全一的である。

真の社会全一的である。

 

 

ユートピアンには永遠の真理に対する深い信仰がある。

 

 

自由は両刃の剣である。それが自己中心的方向に向かうとき世の災いとなり、本質中心的方向に向かうとき世の福となる。

 

価値無記の現代科学は非本質的である。本質価値と統合されてこそ現代科学にも本当の意味と価値が生まれてくる。本質価値と真剣に関わろうとしない現代科学はしばしば災いの種となる。

 

理想なき社会、(こころざし)低き社会、本質暗き社会は不健康である。

 

単なる現在ではなく永遠の中の現在であり、単なる個人ではなく世界の中の個人なのである。

 

人は単なる自己満足を生きてはならない。単なる自己満足を生きることは反本質的である。

 

永遠本質に相応しい生活スタイル。永遠本質に相応しいおしゃれ。永遠本質に相応しい恋愛...

 

本質内本質。すなわち、この世の全ては本質であり、この命もまた、その広大無辺の本質世界の中で生かされながら生きている本質である。

 

本質に向かって登り続けなければたちまち非本質状態に堕していく。

そして、本質の劣悪化に比例してわたしたちの生命活動の質も劣悪化する。

 

人類に本質的な方向性を与えること。本質的な方向感覚を失っていては人類の未来は危うい。ユートピアのヴィジョンを未来社会のあるべき姿として、また、みずからの人生の道しるべとすること。

 

人生の要諦は本質的大道をどこまでもまっすぐに登り続けていくことである。

 

本質に逆らえばやがてさまざまな形の天罰(・ ・)が下る。

 

本来、行政も立法も経済も治安も、社会の本質状態を維持するために機能しなければならないのではなかろうか。しかし、現実的にそれぞれの機関がそのように機能しているのだろうか。逆に公私混同的な腐敗堕落によって社会全体に反本質的な流れを生み出しているのではなかろうか。また、医療の現場ではどうなのだろうか。今や本質忘却の病がいたるところで蔓延しているのではなかろうか。本質に対する感謝の念と謙虚さを失ってしまった人間たちが傍若無に振舞っているのではなかろうか?

 

この世に権利の濫用ほど反本質的なことはない。

 

本質的であろうと努めること、これは人間としての最低限のモラルである。

 

地球社会に本質的価値観・本質的世界観の支柱を打ち立てること!

 

自然の本質状態・本質関係を正しく理解し、その本質的法則に(したが)って生きようとする本質実存者。

 

永遠本質に相応しい政治。永遠本質に相応しい経済活動。永遠本質に相応しい家庭生活。

 

ユートピアは人類(および地球生命系全体)存続のための自然的・社会的最適状態である。

 

もっと本質的で暖かい心と、もっと本質的で公平な社会システムによって、毎年3万人もの人が自らの手で自らの命を奪わなくてもいいような国にしたいものだ。

 

ユートピアにおいては、市民全体が、お互いに本質的な喜びを与え合う。

 

この世に存在するものは全て本質であり、本質は全て愛すべきものである。

 

この世界は本質的な場であり、本質的な場においては全てが本質的関係すなわち一体的調和的関係にあることが本当なのだ。つまり、この世界はユートピアであることが本来の真の姿なのだ。しかし、それが今は人類の精神的未熟さと傲慢さと不公平な社会システムとによってその本来の姿からはるかにかけ離れた状況にある。

 

本質的なものは美しい。

本質的な美的感性を磨いていこう!

 

人生の醍醐味の一つは、この世界の本質を深く感受し、それを深く味わうことである。

 

近代合理主義の最大の欠陥は、過度の抽象化数量化によって、この世界から全一的な本質的いのちを奪い去ったことである。そして今や、生命の場であるべきこの世界が単なる商品の生産工場にされてしまった。

 

もともと自分と一体不可分である自然世界を対象化し、手段化し、さらにはそれを支配し私物化しようとさえする西洋近代の自己分裂性によって、人は世界のみならず自分自身をも傷つけてきた。

 

生の本質的悦びを損なう現代社会システム。その社会システムの中心に反本質的で傲慢な一団がいる。

 

この世に反本質的な人間ほど醜いものはない。

 

現代世界では日々合法的な本質破壊が進行している。

 

上滑りする現代日本社会。全てが本質を外れて上滑りし続けていく。

 

砂漠化した社会、砂漠化した心。いたるところコンクリートに覆われていく母なる大地。

...近代化という名の、あらゆる関係系の無機化、砂漠化

 

本質と対立すること、それが最大の無知である。

本質と調和すること、それが最高の知恵である。

 

ユートピアは最高の自由人を前提とした社会である。すなわち、自己中心的な意識から自由になった人々によって成り立つ市民社会。

 

永遠本質に相応しい娯楽。永遠本質に相応しい芸術。永遠本質に相応しい自然環境。

 

アメリカ先導の浮ついた現代物質文明。この思考的深みのない余りにも単純志向のアメリカ文明が人類の未来を危うくする。世界中の真の知性が、アメリカ国内の真の知性と連携しながら、この流れをコントロールしていかなければならない。

 

本質的な眼の開かれた地球市民たちを結ぶ本質的ネットワークの構築。

 

われわれは一体何を最優先に生きていけばいいのだろうか。生活の便利さだろうか、贅沢さだろうか、感覚的快適さだろうか、享楽だろうか、欲望の自由追求だろうか、それとも大自然、全生命系、全人類との本質的な一体的・調和的な生活だろうか。 

 

利潤動機、賃金動機の経済学から本質動機の経済学へ!

 

精神的成長に優先的インセンティヴを与える社会システムの構築。

 

人の価値は、物・金・力の所有によってではなく、その本質的な働きによって測られなければならない。

 

この世の一切は永遠の現れであり、永遠の全一的(はたら)きである。

 

この自己存在に関わる一切が恩寵である。

 

本質は限りなくシンプルである。そのような本質に基づいて、人類の文明を限りなく本質化していく。本質は人間においてはどこまでも精神的である。

 

絶対時においては、大自然の本質的全一的(はたら)きと自己のそれとがぴったり一致して働いている。宇宙の全一的活きと自己の全一的活きがシンクロしている。

 

本質としてこの世に生を受け、本質として生き、本質としてこの世の生を終える。

 

われわれの誰一人としてエゴイストとして生まれついているものはいない。皆、本質実存者として生まれついているのである。しかし、いつしか現代の反本質的な社会環境がわれわれをエゴイストへと追いやる。

 

永遠本質に相応しい法律。永遠本質に相応しい社会システム。永遠本質に相応しい認識と行動。

 

万象の生成活動に内在する本質がそのまま生成の究極目的でもあるのだ。それゆえ、永遠の生成とわれわれの実存の究極目的とが一切万象の本質において一体化する。すなわち、本質実存がわれわれの生命活動の究極目的なのである。

 

ところで、精神のみが人類を最善の本質的方向へ導いてくれる。しかし、今やその精神が著しい機能低下に陥っているのである。

 

本質を忘却した過度の個人主義と自由主義によって卑しくなった現代人の精神。

 

非平衡状態の入れ子(形あるものの重層的)状態としての宇宙の全体構造にも、全一的な平衡状態が統合的に機能している。

 

部分的歪みの無い、平衡な循環システムの重層構造社会としてのユートピア

全一調和的活性世界としてのユートピア

一方、酔っ払いのような欲望追求社会としての現代世界。そして、反自然・反本質の極みとしての現代都市。

 

人間の精神のみが理想世界をイメージすることができ、また、その実現に向けて活動することができる。また、人間の利己主義的欲望のみが世界を汚し、その全一的な調和を突き崩す。それゆえ、たゆまざる精神性の向上によって、自己の内なる反本質的欲望を抑制し、この地球世界を全一調和的ユートピアへと押し上げていくことがもっとも人間に相応しい本質的な在り方なのだ。

 

全体観・全一観(全てのものは一体的・相補的であると観ずること)によらなければ真実を生きられない。あらゆる部分的偏り(個人的、部族的、国家的、宗教的・宗派的、人類的な自己中心性)は全一的真実を歪め、本来あるべき自然的・社会的バランスを崩してしまう。わたしたちはできるかぎり、そのような一方的部分的偏りによって歪められた利己的妄想的世界観から自由になって、本質的な全体観・全一観を養っていく必要がある。

 

未来の本質的な学としての全一統合学の提唱。あらゆる専門化された学問を再吟味して、本質的全一的な視座から再統合していく。全体から切り離された単なる部分はしばしば全体を蝕む災いの元となる。全体との正しい連関の中でのみ部分も本質的な意味と価値を持つ。

 

不調和状態の原因である、あらゆる形の過剰性を自己制御していかなければならない。あらゆる過剰性は人間の品位を汚し、社会を混乱させ、大自然の全一調和の美を汚す。

 

あらゆる関係系において全一バランスを回復していく。自分の心と体との関係において、そして人間同士のあらゆる関係において、また、人間と動植物との関係においても、さらには人間と物質世界との関係においても。

 

近現代において、それまで長く支配してきた封建的・宗教的価値体系が大きく揺らぎ、今やそれがほとんど瓦解してしまった。そのため方向性を見失ってしまった現代人が、今やあたかも鎖を解かれて野生化した犬のように欲望追求に走っているのだ。精神的に退嬰化し、たちの悪いペシミズムやニヒリズムに陥った現代人が、何かに憑かれたように欲望追求に走っている。そして、『自己=世界』の本質を日々損なっていく。

このような価値体系の瓦解した時代にあっては、何よりもまず、失われてしまった価値体系を、新たに構築し直さなければならないのである。それでは、その新しい価値体系においてもっとも優先されなければならない本質的価値は何であろうか。早急にそれを確定しなければならない。最優先価値が決まれば、それを中心に新しい価値体系もおのずから結晶していく。

 

ユートピアにおいて市民が最優先させるべき価値は、全一的な『自己=世界』の本質を自由展開していくことである。全一的な『自己=世界』の本質を維持するだけではなく、それを自主的・主体的に未来へと展開していかなければならない。それゆえ、ユートピアは『自己=世界』の本質を自由に展開していく本質実存者で満ち溢れ、やがて世界の隅々にまで本質が充満していく。

 

ところで、本質とは全一的で欠けるものなき聖なる無であり、永遠から永遠へと浄らかに展開し続ける永遠である。それゆえ、そのような本質を自覚的に生きていく本質実存者とは、すなわち永遠にして聖なる無の中で実存する者たちである。そのため、本質実存者は実存(生)恩寵至福の中に生きると同時に(死)の限りない畏怖悲しみの中にも生きている。そのことから、本質実存者は、つかの間のこの世でのいのちの時を、自他に対する限りない慈愛と親和の情を込めて生きる。この全一的無の上に生きる者たちにとってこの限られたいのちの時は、ただ単に自己中心的欲望追求に生きるには余りに神聖にして貴重で尊いものなのである。本質実存者はこのいのちの時をそのいのちの母なる本質を生きるに相応しく生きていきたいと願う。そしてまた、自らが生きるこの世界をその本質を生きるに相応しい場にしたいと切に願うのである。

 

一切万象の本質である聖なる無は単なる無ではない。聖なる無はその中から宇宙が生まれ、その宇宙の一切万象が展開する母なるエネルギー場である。

 

わたしたち一人一人の生命活動も聖なる無(本質)人間的現われである。

 

本質において一切万象は絶対的に平等である。

 

ユートピアでは、ひとびとの間に真に対等で親和的な関係が成立する。

 

ユートピアでは全一的なバランス状態絶対的な平等関係が成立する。すなわち、社会的な本質状態本質関係が実現するのである。

 

永遠本質に相応しい人間関係。永遠本質に相応しい人生。永遠本質に相応しい地球社会。

 

人は皆この世にそれぞれの本質を生きるために生まれてくる。ところが、そのいのちの願いを現代社会が阻害し歪めてしまう。その反本質的で不完全な現代社会を本質化、完全化しようと夢見る永遠の本質主義者、ユートピアン

 

 

 

 

 

 

 

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