本質は真実そのもののエッセンスである。真実世界から抽出された混じり物のないエッセンスである。それがなければ真実世界そのものも成り立ち得ない、そのようなエッセンスである。
本質は時空を越え、地域間・世代間を超えて、永遠に不変である。いや、むしろ本質は永遠そのものである。
本質・実体は、この世のあらゆる存在がそこから生まれそこへと帰る存在のアルファ・オメガである。
この世で一番大切なものは本質である。そしてわたしたちの人生で一番大切なことは本質的なヴィジョン(理想像)を持つことであり、また、そのヴィジョンに向かって生きることである。
本質的ヴィジョンには永遠感覚が伴う。
永遠感覚とは宇宙と自己との全一的な統合感覚である。そのような永遠感覚の中では時間的にも空間的にもいかなる区切りもなく、一切が浄らかに調和し、一切が一丸となって浄らかに転じている。
永遠においては、眼の前で転じつつある現在がそのままこの世界の始まりであり終わりである。
本質思考:全一統合思考。
人生問題、家庭問題、教育問題、経済問題、社会問題などを本質的・全一的に考えていく。本質を外れた部分的対応は結局無駄であり、むしろさらなる混乱を招くだけである。
本質コンシャスな人生。本質コンシャスな社会。本質コンシャスな文明。
万象の本質と本質が、住民の本質と本質が日常的に呼応しあう本質世界、ユートピア。
ユートピアは本質統合社会である。ユートピアは世界全体が一体であるような社会である。ユートピアではあらゆるものが永遠を彷彿とさせる。人々も、建物も、さまざまな生き物たちも、山や海や川も、大気や大地も、そのほかあらゆるものが永遠を髣髴とさせる。住人たちが話す言葉も永遠を髣髴とさせる。すべてのものが永遠の風情とたたずまいを表している。
いわゆる現実といわれているものよりも、むしろ、永遠の中にこそ真の現実と幸せがある。そして、同じように、ユートピアの中にこそ真の現実がある。
本質は常にその本来あるべき理想状態に向かって機能し続ける。
この世のすべてのものは、本質的な意味と価値の世界で活動している。原子も分子も与えられた条件の中でもっとも安定な状態を維持し続けようとし、また、生命も同じように与えられた世界の中でもっとも安定な状態を維持(生存))し続けようとする。このように与えられた世界の中で一つの本質的方向性を持って活動し続けるものは当然、本質的な意味と価値の体系の中にあるといえる。それゆえ、本質的な意味と価値の体系を見失った活動はすべて反本質性を帯びることになる。価値無記をうたう現代科学も、個人主義的なニヒリズムに陥った現代世界もどちらも反本質的である。
わたしたちは皆、本質的な意味と価値の世界に生まれてくる。生まれたその瞬間から、一人一人がその環境の中で、自己生命と環境との間の本質的な意味と価値の全一的連関系を生き始める。
世界とは本質的な意味と価値の体系である。
世界の中で自己を絶対化しないこと。自己相対化によって世界との全一的なバランスを維持すること。
この世に真に存在するものは本質すなわち浄らかなエネルギーとその内在律のみ。その他はすべて一時的な現象に過ぎない。
マヤ(自己中心的幻想世界)から目覚めて、真実(真の現実)を生きること。真実世界は本質的な、浄らかな意味と価値に満ちている。
一切は浄らかなエネルギーの現れである。何ものも軽んじてはならない。
空行(空を行ずること)・浄らかなエネルギーに相応しく浄らかに生きることが人生最高の姿である。
本質は常に聖なる無に向かって生きる。
本質すなわちもっとも大切なものを最優先する本質主義社会。あらゆる場において本質が充満している社会ではあらゆる関係系が全一バランス状態にある。
本質は常にすべての人々がそれぞれの本質を生きることができる地球社会の実現を祈り求める。
本質の直感把握。本質(聖なる無・超越的純粋エネルギー)を直感的に把握しながら全一バランス自己を生きる。この世の一切は本来、完全統合状態を目指し続ける。
人もまた、『自己=世界』の完全統合 (聖なる無・無心) 状態において自己の最高本質を生きる。
人は我執を生きる時もっとも反本質的であり、無心を生きる時もっとも本質的である。
もっとも健康な精神は、本質すなわち浄らかな理想状態を求め続ける。精神的にも身体的にも家庭的にも組織的にも地域社会的にも国家的にも世界的にも地球生命系的にも不断にその理想的な全一調和状態を求め続ける。
プライバシーと社会的コミュニケーションとのバランス。本質はいつでもそしてあらゆるところで全一バランス状態を保とうとする。
地域社会を診断するとき、その住民のいのちの本質が輝いているかどうかに注目する必要がある。
風土をまったく感じさせない都会。風土から切り離された抽象的環境。
真の繁栄は物質的繁栄ではなく本質的繁栄にある。
本質的な物事を最優先し、本質的でない装飾的享楽的物事をそぎ落としていく。そして大自然と調和した文明を築き直していく。
浪費的人間、浪費的国家、浪費的人種は反本質的である。
本質が見えなくなった人生、本質が見えなくなった家庭、本質が見えなくなった組織、本質が見えなくなった地域社会、本質が見えなくなった教育、本質が見えなくなった国、本質が見えなくなった宗教、本質が見えなくなった文明、本質が見えなくなった時代、本質が見えなくなった世界は混乱し、やがて、衰退する。
そのときだけ楽しければそれでいいという生活。溶けて爛れてしまった人間としての本質的モラル。精神的健全性が麻痺してしまった社会。映像メディアの刹那性・感覚性・娯楽性の過剰。今や社会的に一般化してしまった軽薄化、享楽化、そして過剰な装飾性。
映像メディアの過剰は精神を空洞化させる。
精神的成長には知識、経験、知恵の内的醗酵が必要である。しかし、映像メディアにさらされていればそれが十分に行なわれない。その結果、人はいつまでも精神的に成長することができない。
一般的日本人の思考の狭さ、発想の貧しさ。日本人の多くは社会の習慣的な思考形式に無批判的に馴らされて成人し、より本質的で、より自由な思考法や発想法を身につけることが稀である。また、既成社会に反発する場合にも、単なる反発に終わってしまい、それに変わる本質的な発想を自ら確立するに至ることもまた稀である。
日本社会全体の漫画化? アダルトビデオ化? ファッション化? お笑い化? タレント化? の進行? いずれにせよ、どれも本質的な深みに欠けている。
本質化の方向ではなく、非本質化の方向へ逸れてしまう日本社会。日本人はいつまでも真正面から事に当たろうとしない。
お笑いでごまかしながら生きていけばそれでいいという時代ではない。
本質に眼を閉ざすことほど愚かしいことはない。
若者たちの『ウザったい』という言葉に潜んだ反本質性......
少年犯罪、少年非行の急増...... 人間としての本質的成長が未熟なまま大人になってしまった両親の家庭で育った子供たち、そして、本質的成長が未熟な社会環境で育った住民による地域社会......
まず、確固とした本質的価値観を自己および社会の内に築き上げる。価値観の揺らぎ続ける社会環境の中では、子供たちはいつまでも真の大人に成長できない。
自由、個性...という名の放縦......。本質的自由、本質的個性ではなく、刹那的享楽的自由と自我主張的個性の狂騒社会。
今や、本質的裏付けなき自由が、日本中に、いや世界中に蔓延している。
あらゆるものの本質活動は、その内なる本質(内在律)を自由展開することである。人間の本質も同じように、それぞれの内なる本質を自由展開することである。
ところで、それぞれの生きている家庭環境が、また、地域環境が、国家環境が、時代環境が、人間としての本質を生きるに相応しいものではない場合に、多くの不幸と悲劇が生まれる。
人生でもっとも大切なことは、本質的な最高の人生を生きるために正しい(本質的な)認識と、最適 (本質的) な社会環境を維持することである。
本質的認識と本質的社会システムによって成り立つユートピア。
人類究極の地球社会システムとしてのユートピア。
人類は地球生命系全体に対して責任があり、また、お互いが人類全体に対して責任がある。
まずは本質を認識し、本質的価値を再確認する必要がある。
本質を中心とした社会システムの中で、正しく本質を認識した人でなければ、それぞれがみずからの本質を生きていくことは難しい。
日々、新たに、本質にたち帰る。
本質は世界の全体構造の完全バランス状態に顕在する。
国益と国民一人一人の本質的権利との間に乖離のない理想国家。人類全体の一人一人の本質的権利の自由平等的展開が保障された理想的地球社会、ユートピア。
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本 質
: 超越的純粋エネルギー〔PLEROMA(プレロマ)〕
万象の一体性
全一統合性・精神性・永遠性
地球生命系・人類全体の一体性
完全調和・完全バランス
全一的自己の自由展開(変化)。
本質認識は、本質についての正しい理解を深めていくことである。本質認識は本質価値と密接に関係する。
本質的価値付け:利己的、人間中心的、貨幣的価値付けではなく、世界の本質・いのちの本質に基づいた価値付けを行う。そして、そのような本質的な価値付けに基づいて地球社会システムを構築し直していく。
本質価値は、本質そのものの中に、そしてまた、その本質を維持し、さらにはそれを助長するものの中にある。
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本質を最高価値とする人生。本質を最高価値とする社会システム。
本質を生きることができる地域社会システム、本質を学ぶことができる教育システム・教育環境。本質を生きることができる家庭環境・社会環境。本質を生きることができるユートピア。
ユートピア―――すべての人が、それぞれのいのちの最高を自由に生き合うことができる社会。
人はみな、それぞれのいのちの最高を生きようとして生まれてくる。しかし、その願いが叶わないとき、人の心はさまざまに歪み、乱れ、荒れる。
家庭内暴力という反本質状態。幼児虐待という反本質状態。現代社会においてさまざまな反本質状態を生み出す根本原因を突き止め、それを解消していく。
ユートピアの住民は、人のしくじりを楽しんだり、人の幸せを妬んだりするような歪んだメンタリティから解放されている。
ユートピアの住民は、生きとし生けるものたちの本質が輝いているのを見るのが好きなのだ。
人には誰でも何らかのコンプレックスがある。そのコンプレックスをさらに鋭く意識させるような無神経な対立的競争的社会環境から、住民がお互いに、相補的で全一調和的な本質に意識が統合されていて、それぞれのコンプレックスがもはやコンプレックスとして意識されないような社会環境へと移行していく。
人が生まれてから、成長し、成人となり、恋愛し、結婚し、子を産み育て、やがて老いてこの世での生を終える。そのような人の一生を通して、そのいのちの最高本質を生きようとすることが本来あるべき人生の姿である。そのような生の最高本質を生きるための正しい認識と、それを保障してくれるような理想的社会環境を追求し続けていくユートピア。
全世代を通して安心して生きていけるユートピアづくり。
地球生命系および人類全体が一体であるという本質(状態)から、 汚染や偏りのないエコロジカルな自然環境の必要性と人類全体の絶対平等的社会システムの必要性が導き出される。
あらゆる形の支配を否定し、世代を超えてあらゆる人が幸せに暮らせる、絶対的に公平で平等な社会システムを実現していく。そのために私有制と相続制を廃止していく。世代間を超えて、どのような人の間にも利害の対立が生じることのない全一調和的社会システムを構築するために、利害対立を生み出すような社会システムを一つ一つ清算していく。
本質的自由民主主義社会
は住民自治による地域社会の地球ネットワーク世界である。
本質的自由民主主義社会
は自然との全一調和の中の絶対民主主義社会である。
本質的自由民主主義社会
は本質的ルールに基づいた自由平等社会である。
人類全体が共有することのできる本質的ルールをみんなで作り上げていく。
永遠本質に基づいた地球社会のトータル デザイン。
利己的幸福追求ではなく、大自然との調和の中で人種をこえ世代をこえた世界中の人々が共に幸せになっていく社会システムの確立。
社会を構造的に見なければならない。単に私的な視座から見るのではなく、社会全体を構造的に見なければならない。社会において個人は構造的に規定されている。
反本質的社会システムによって日々多くの不幸と犯罪が生み出されている。
個人は社会の中で構造的宿命を背負わされている。個人の幸せはその構造的宿命に半ば以上依存している。それゆえ、個人的宿命を変えるためには、社会の構造的宿命も変えていかなければならない。
単なる個人的動機に基づく社会建設ではなく、全一的な本質的動機に基づく社会建設。本質のための本質社会建設。本質に基づいてこそ人間社会も調和と安定を享受することができる。
自己主張に明け暮れるエゴイスト集団ではなく、お互いに全一調和し合う本質的なコミュニティ作り。
本質から遠ざかった西洋科学を再び本質に引き戻さなければならない。
本質から遠ざかった西洋近代を再び本質に引き戻さなければならない。
本質から遠ざかった現代世界を再び本質に引き戻さなければならない。
内容のある本質的な言葉、内容のある本質的な映像、内容のある本質的な芸術、内容のある本質的な情報などをもっと日常生活の中に溢れさせていく工夫をする。この国のテレビなどで飛び交う情報内容は余りに感覚的娯楽的ゴシップ的お笑い的で中身のないものが多すぎるのではないだろうか。本質を思い出させ、あるいはそれを再確認させてくれるような内容からは程遠い。人の知性も精神もその多くは受け取った情報の内容によって規定されてしまうのであってみれば、より本質的な情報を社会に溢れさせなければならない。
社会を行き交う情報内容の本質度によってその社会の成熟度が推し測られる。
永遠本質を見据えた本質的な言葉や情報が少なすぎる現代社会。そこに現代社会の病理の原因が潜んでいる。
暴力的な言葉や内容のない言葉で充満した現代社会。
経済に眼が眩んで本質が見えない現代世界。一面的な、経済価値に偏したものの見方から抜け出して、ふたたび全一調和的な、真に人間らしいものの見方を取り戻していく。
自己の本質を表現することができる人生、そしてそれを保障してくれる社会システム。
いかなる差別もない地域社会・地球社会の実現。住民の意識と社会のシステムの問題として考えていく。
ますます貧富の格差が広がり、ますます自然の本質が壊されていく利己的社会システムから、すべての人が公平平等に利用することができ、ますます自然の本質が輝いていく全一調和的社会システムへと転換していく。
本質はいかなる不正にも断固反対する。本質はいかなる自己中心的欲望追求にも断固反対する。人は本来、自己の本質を純粋展開する以外のいかなる権利も持っていない。
利己主義の極まった現代人は生物史上もっとも反本質的な生物である。
本質は常に反本質に対抗する。
世にはびこる反本質的思考を駆逐し続けていく。
利潤を最高価値とする資本主義社会では、利潤の前にあらゆるものが貪りつくされる。人間も動物も植物も鉱物も時間も空間も仮想現実でさえもが貪りつくされる。そして、地球上の大気が汚染され、大地が汚染され、水系が汚染され、生きとし生けるものたちの細胞が汚染され、人間の心身が汚染され、地球が全体として反生命的変貌を遂げ、やがて、地球生命系全体がはなはだしく奇形化し、衰退していく。
現代人の信じられない愚かしさ! 非本質的な欲望をあおり続け、さらに自然の本質を破壊していく社会システムの呑気な住人。
現実世界の真実相を正しく見ることのできる本質的な眼を養い続けていく。
利潤追求のためにどれほど人間性が歪められていることか。
人の無知と弱みに付け込む資本主義というシステム。
企業の論理で人の本質を踏みにじる資本主義というシステム。
合理的計算の世界から本質的いのちの世界へ。
西洋近代のように、自然を利用し、貪り尽くすのではなく、古代の日本人やネイティヴ アメリカンやアイヌ民族のように、自然を敬い、自然に感謝し、自然と一体となった人間世界の構築。そして科学は自然の本質を生かす方向にのみ活用する。
本質社会実現のために、貪る者と貪る組織と貪る社会制度を完全に制御する社会システムの構築が求められる。人類が生き延びていくための緊急課題としての本質回帰。
わたしたち一人一人が少しずつ本質的な生き方を学びなおしていく必要がある。行き過ぎた欲望追求の道から、本来あるべき本質的な生き方へと方向転換していく必要がある。
人間の無知とその業の深さ。
金の力によって動かされることのない本質社会の実現。金の力によってこれまでどれほど多くの人々の本質が踏みにじられてきたかはかり知れない。
本質世界は全一的いのちの純粋展開世界である。人間世界も限りなくその本質世界に近づけていかなければならない。
自然と地域の本質的連携地域社会の構築。そして、地域と地域の本質的連携世界の構築。
驕り高ぶる人類の、本質を無視した活動によって、人類自身の心が病み、反本質的情報と反本質的商品があふれ、いたるところで世界が爛れていく現代。反本質的なストレスを生み出す反本質的価値観に基づく現代社会システム。大人の心が壊れ、子供たちの心が壊れていく。本質に根付いていない世界は次第に異常な出来事を頻発するようになって、いつしか健康な未来を失っていく。
本質を見失って精神的に退廃し続ける現代都市。そして、それが世界中に伝染していく。
人間の存在が日々さらに軽くなっていく。
バーチャルリアリティが日常生活を侵害し続ける現代社会においては、人間のいのちの本質が次第に見失われていく。虚構世界と現実世界の境界がますます曖昧になっていく時代において、人は意識的にそのいのちの本質を確認し続けていかなければ、いつしかそれと気付かぬうちに、その本質に対して鈍感になり、さらに麻痺状態に陥ってしまう。そして、人々の本質麻痺に伴って、社会の本質状態が崩壊していく。
大自然の全一調和的本質に心を映して自己の本心を取り戻さなければ、人はいつしか本質を見失い、いつまでもそのことに気付かないままその生涯を終えてしまう。
人生で一番大切なことは本当の自分を生きること!
本質を忘れ、死を忘れて、驕り高ぶる現代。
本質に裏打ちされない生、死に裏打ちされない生、聖なる無に裏打ちされない生は暴走する。
死に眼を閉ざした生は、いたずらに流行を追い、いたずらに享楽し、いたずらに消費して、いのちの母なる本質を汚し続ける。
死に裏打ちされない放埓な生は世の災いである。
本質的裏打ちを欠いた西洋近代文明は地球社会に未曾有の災いをもたらしてきた。戦争、植民地支配、人種差別、環境破壊......
現代のあらゆる問題の根源に本質の空洞化がある。この世の唯一の実体である本質がいまや幻影化、無実体化され、あたかも本質などどこにもないかのように見做されているのである。本質を喪失してしまった現代世界はその中身のない幻のような活動によって、本質を汚し、さらには本質を破壊しながら暴走し続ける。人は無知(本質不在)の状態にあるか、あるいはニヒリズム(本質否定)の状態にあるか、または本質無視(価値無記・現代科学)の状態にあるかである。そして、本質を喪失した世界は、幻想世界を迷走し続け、やがて本質の壊れた世界の中でみずからも斃れていく。
非本質的世界はやたら騒がしい。
驕り高ぶる文明を超えて、本質によって裏打ちされた新しい全一調和文明の創造。
地球社会システムの大転換! 人類が末永く安全にそして充実して生き延びていくために......
地球社会システム、国家社会システムはそのまま個人の日常生活に圧倒的な影響力を及ぼす。
本質的文化、本質的文明の創造はもっともエキサイティングである。一体どんな世界がわれわれを待ち受けているのだろうか? 人類の本質的能力が完全開花する本質文明世界!
出世というものが一切ない本質世界。政治経済教育医療宗教その他いかなる組織においても、出世というものがまったくない社会システム。
日本全体、世界全体の究極的・本質的社会システムのグランド デザイン(全一デザイン)をさまざまに練り続けていく。
本質的な知恵がなければ人類はこれからの時代を生き延びていくことができない。ところで、これほど反本質化してしまった人類が果たして本質的な知恵に目覚めて、その知恵によって本質的な世界を築いていけるのだろうか?
異常な事件が頻発し、ホームレスが巷に溢れ、50万人から100万人の若者が家に閉じこもり、毎年三万人以上の人が自殺し、三万人近くの老人が罪を犯さざるを得ないこの国は今や異常である。このような国にしてしまったのは一体誰なのか、そして、何なのか? その原因を突き止めて、それを根こぎにしなければならない。
本質的な人間関係、すなわち全一的な愛と知恵に満ちた人間関係が確立した社会では誰も自殺したり罪を犯したりはしない。また、全一調和的な社会システムが確立した社会では誰も自殺したり罪を犯したりはしない。なぜなら、そのような社会では、みんながお互いにそれぞれの本質を生き切るように日常的に助け合うから。
住民みんなで支え合う本質的社会システム。ユートピアでは、住民一人一人がそれぞれの本質を十分に生きられるようにシステム化される。
日常生活の中で意識的に本質を取り戻していく。
真のコミュニティを取り戻していく。本質に根ざした真の人間関係を取り戻していく。単なる経済関係ではなく、本質的ないのちといのちとの関係によって成り立つ真の社会を取り戻していく。
単に個人的な幸せを求めるのではなく、社会全体の一体的幸せを求める。
最高の知恵と慈しみに満ちた家庭と社会の追求。
本質を生きることは、その人の人生に最高の輝きを与えてくれる。
自然を聖なるものとして畏敬しない限り、わたしたちは本質を生きられない。
アメリカ発の享楽的自由が現代世界を覆いつくしていく、そして......
アメリカ発の出世主義( アメリカン ドリーム・物質的所有、浪費 )が世界を覆いつくしていく、そして......
資本主義的現代文明はいまや自然環境的かつ社会システム的にボロボロである。
地球温暖化、海面上昇、大地の砂漠化...
驕り、浮ついた現代人が加速度的に破滅への道を突っ走っていく。
本質的な裏打ちのない空疎な浪費社会。浪費は必ず他者(自然および人間)の多大な犠牲の上に成り立っている。浪費をこととするアメリカ的なものは永遠本質にそぐわない。
高層ビルは永遠本質にそぐわない。
中東に見るアメリカ・・・驕るアメリカ、力ずくのアメリカ、利権国家アメリカ、軍産複合国家アメリカ、独善主義国家アメリカ、過剰防衛国家アメリカ、人種差別国家アメリカ、貪るアメリカ、虐待国家アメリカ、反人権国家アメリカ、反本質国家アメリカ...、今やアメリカはあらゆる場面で反本質的腕力を振るう...。 反本質的自由主義のなれの果ての姿.....。 結局、反本質的自由は放縦に堕する。名前だけの、独善的な、自由民主主義国家アメリカ。
経済支配、軍事支配、思想宗教的支配などを絡めた西洋近代の流れがいまやネオコン的アメリカによって引き継がれ世界中に害悪を撒き散らしている。
勝者の論理から本質的論理への移行!
本質は現象の背景にある根本原因を直視する。
物金力に頼らない本質的な知恵による 『ソフト アンド クリエイティヴ パワー』 を最大限に活用しながら現代世界をユートピア実現の方向に力強く押し上げていく。
自由はどこまでも本質に根ざしていなければならない。自由は常に本質的ルールに遵わなければならない。
本質に融け込んで、本質のままに活いていく本質実存。
利己主義を超え、絶対平等主義に至るためには、まず、本質に出会わなければならない。
本質優先世界の構築。本質によって統合された地域社会の地球的ネットワーク化!
全一システム世界の創造的構築。
どんどん世界を本質化していこう! できることから、できる地域から、どんどん世界を本質化していこう! 自分自身のためにも、家族のためにも、同世代のためにも、未来世代のためにも、あらゆる生き物たちのためにも、どんどん世界を本質化していこう!
自己の「全一心」を練り上げ、世界の「全一システム」を完成させていく!
全一心は自己中心的でもなく、党派にとらわれることもなく、宗教・宗派にとらわれることもなく、人種や国家などにもとらわれることのない、どこまでも広やかな、人類一体的、生物一体的、万物一体的な心である。また、全一システムは偏りのまったくない、絶対的に公平で平等な地球社会システムである。
本質こそがこの世の最高価値であり、本質的であることこそがこの世で人間が為しうる最高のサービスなのである。
本質的ことば、本質的まなざし、本質的しぐさ、本質的製品作り、本質的環境作り、本質的社会システム作り、本質的創作、本質的サービス...
本質は、人類の全世代・地球の全生命系のいのちの最高展開を祈り続ける。
どんなことが起ころうとも一切は結局聖PLEROMAに帰する。