ほんとうに在るのは永遠だけ。その永遠の中で、すべてが変化する。完全さそのものである永遠の中で、永遠そのものだけが、永遠すなわち真の自己自身へと変化する。永遠だけが変化の中で永遠に不変である。永遠は常に一体であり、全体そのものであり、この世の何一つとしてそのような永遠から離れられない。永遠は本質であり、真実そのものである。永遠はPLEROMA(プレローマ)の浄らかな純粋エネルギー場であり、またその変容世界でもある。この世の一切がこの永遠に包み込まれている。
この永遠との正しい関係の中においてのみ、わたくしたち人間も本当に生きることができる。永遠との正しい関係を忘れては、人は真実を生きられない。永遠との正しい関係を忘れることは、自分自身の本質を忘れ、自分自身の真実を忘れることだから。永遠との正しい関係を忘れた人間は、もはや真の人間とは云えない。永遠との正しい関係を忘れた人間は、不完全な、歪んだ、幻想的自己を生きているにすぎない。
完全で一体的な全体であるこの無限の永遠の中で、その永遠の一変容としてこの宇宙に存在しているものたちはみな、母なる永遠との正しい関係をおのずから保ちながら存在している。その変容の循環的なあり方は純粋であり、かつ浄らかで、優雅で、美しい。しかしそのような中で、唯ひとり人類だけが、その本来あるべき永遠との関係を忘却して、自己中心的幻想世界を彷徨っている。そこには純粋さもなければ浄らかさもなく、優雅さもなければ美しさもない。そこには自己中心的欲望に取り付かれた醜さと不気味さが漂っている。わたくしたち人類だけが母なる永遠のその浄らかさを汚し続けている。
永遠との正しい関係を忘れて、むやみに自己中心的自己を生きる人間は醜い。視野を狭くし、私的欲望に取り付かれて生きる現代人は浅ましい。その醜さと浅ましさが顔の表情にもあらわれる。永遠をそのまま心に映したおおらかな表情が消え、むき出しの我執があらわれる。浄らかな永遠の中に在りながら、その永遠を忘れ、自己中心的幻想世界を生きる人類の愚かしさ。永遠との正しい関係を忘れた人間は、地球生命系との正しい関係をも忘れ、人間同士の正しい関係をも忘れて暴走する。そして自然を破壊し、やがて自らも滅びていく。
永遠においてはあらゆるものとの一体的調和関係だけがある。この地球上においても、さまざまな生物がそれぞれの知恵を働かせ、それぞれの環境に合わせて最適な相互関係を築き上げていく。ただ、現生人類だけが、環境との全一的な調和関係を忘れて自然を貪り、人間同士の間ですら、自らが作り出した、お互いに競争的に奪い合うような生存形式に酔い痴れて、いたるところで不調和と対立を生み出していく。自然環境を破壊しながら貪り続ける現生人類が、『狂ったサル』ないしは『地球生命系のガン』と呼ばれる所以である。このようなことがいつまでも続いていい筈がない。一日も早く、永遠との正しい関係に立ち帰らなければならない。
永遠との正しい関係を取り戻してこそ、人類もみずからの限界まで生き延びることができる。その本質を生きることができる。
永遠との正しい関係の中にのみ、人類の真の生き方がある。永遠を主とし、永遠を中心としてのみ、わたしたちも内なる永遠性を生き切ることができる。純粋で浄らかな『いのちの本質』を味わいながら生きていくことができる。